98年テムズ川沿いの病院にピノチェト将軍が入院したとき、
英国のメディアは連日これを伝え政府の対応を質した。
スペイン政府はピノチェトを犯罪者として引き渡しを求めた。
73年9月11日、チリのアジェンダ政権が軍事クーデターで倒されたとき、
陸軍総司令官だったのが、ピノチェトその人だ。
彼はCIAのバックアップを得て蜂起し、後大統領になった。
映画「サンチャゴに雨が降る」は、その経緯を描いている。
タイトルの、サンチャゴに雨が降る、は、その日快晴だった首都に流されたラジオ放送を指している。
市民たちへ国軍の反乱を知らせる暗号だったのだ。
青空の下、おびただしいヘリ、軍用機、戦車が大統領官邸に激しい攻撃を加える。
反抗する市民たちは蹴散らされた。
クーデター後の粛清はさらに残酷だ。
サッカー場で反対派集合を開かせ、スタンドから銃で撃ちまくる。
死者行方不明者は10万名をこえたという。
英国では老将軍を称える人たちもいた。
フォークランド紛争時、英国を支持したからだった。
メディアは非難をつづけ、政府はいったん逮捕収監するが、
国内法で裁く法的根拠がないという理由で、ピノチェトは釈放され、チリへ戻った。
3年前、皮肉なことに国際人権デーの12月10日、ピノチェトは91才で世を去った。
チリのみならず南米の人々にとって、社会民主主義政権が暴力で崩壊した1973年9月11日サンチャゴの悲劇が、 ニューヨークのテロより先に思いだされることに思いを馳せることもまた、 必要ではないかと思う。
