2010年1月26日火曜日

ハイチとの距離、メディアの役割

先週末フランスTF!のトップニュースは、ハイチから30名の子供がシャルルドゴール空港に到着の生中継だった。
大地震前に養子縁組を決めていた家族が、子らの生存確認と政府による早急な受け入れ便派遣を求めていたことは聞いていた。
TVでは、ある家族が空港へ急ぐ姿を追っていた。
両親と2人の子供が夜の空港へ急ぐ途次、インタビューに答えて「早く会えるのが楽しみ」と口々に語る。
30名は第一陣で、さらに到着を待つ家族がたくさんいることも伝えられた。
旧宗主国であるフランスだけではなく、ドイツやイタリア、スペイン、ベルギーが、
最貧国と云われていたハイチからの養子縁組を、すでに進めていたという。
米国や英国の有名人たちは、チャリティコンサートや電話による募金活動に参加している。
デカプリオは100万ドルを寄付している。
ジュリアロバーツが電話をかけている写真がタイムス1面に掲載されている。
日本は心優しくとても良い国だと思うが、門をひたすら閉じている印象があるのはなぜだろう。
私が暮らす市の行政区が、ハイチの子供受け入れの検討をはじめるとは思えない。
しかし、各国には地域ごとにバックアップ体制というものがたしかにあるし、
社会全体が我が家の延長として捉えられている。
もちろん、課題もある。それは、理念に基づく行為だからで、
受け入れた子供たちが成人し、欧米社会の中で生きていくには、十分な権利が保障されていても、
現実としてうまくいかないことが多い。
欧米は理念と現実の狭間で苦しんでいるが、
かといってヒューマニズムの旗を降ろすわけではない。
メディアが旗を振りつづけ、社会をリードしているからだと、私には思われる。

2009年12月17日木曜日

デフレに異議あり

昼食代を500円基準にしたのは、赤坂に来てからのことだ。
その前は天王洲アイルという辺鄙な場所にいて、
500円ランチなど存在すらしなかった。
この町では、450円から500円、650円あたりで、
十分食欲を満たす昼飯を食える。
富士そばで、丼をかきこむ日も含めると、
週5日で、2500円弱。月に直すと11000円弱で収まる。
夜、呑んだりして4-5000円払うようなとき、
これは昼食2週分だと思うようにする。
実にもったいない。
欧米人の感覚は、こんなものだと思う。
その分、ホリデーやガーデニングに使ったりして
一人当たりGDPは日本の上の水準をいっている。
デフレと言って脅す人が多いけれど、およそ日常生活レベルの商品は
安くて構わないのではないか。
消費支出の仕分けをして、よく稼ぐ人たちが、どんと金を使える産業を育てれば良いだけはないかと
私は思う。
たいして多くを望まなければ、世界一安く暮らせる国を作りましょうぞ。

2009年10月21日水曜日

軽井沢の死

軽井沢で短い夏を過ごしたことがある。
朝、木立を抜けて自転車を走らせると、ひんやりした空気が次第に湿り気を帯びた温いものに変わっていく。土地の精霊が私を包み込むのだ。
眼前にぱっと現れるせせらぎや、湖沼や古い家々に、目を奪われる。
人の気配と、気配を消そうとする生きものたちのせめぎあいが、密やかに行われているようだった。

この地は、イギリス人たちが故国に似せて町づくりをしたという。
私には、かの地より少し淡白な印象だ。
強いて言えば、ロンドンの北のある会員制ゴルフ場へ向かう道なりが相似しているかもしれない。
古いような新しい感じ。生きているような死んでいるような感じ。

ただ、経済原理が触手を伸ばしてきているために、町は少しずつ変化する。
ひと山当てた人と、ひと山当てようとしている人が共に暮らす。
しかし、軽井沢の風土には、欲望を静める力があるらしい。
ここでは人は皆、おとなしい羊のように散歩する。

自然と共に生きる姿勢は、諦観につながる。
そんな大きなあきらめの層が、この地を覆っていることは確かだと思う。
私より少し年上の、才能にあふれた音楽家が命を断つには、
最適の場所だったのかもしれない。 合掌。

2009年10月5日月曜日

日本の錯覚

日本橋で、日本伝統工芸展を見た。
日本各地で作られている工芸品は、その洗練も、繊細も、渋みも、現代性も、
見る者を圧倒してやまない。集中して一点ずつ丹念に見ていると頭痛がしてくるほど。
作り手の精緻さに対する強い思いが伝わってくるのだ。
この思いは、カナレットのベニス大運河や木原康行の版画にも感じられるものだが、
工芸品にあるのは技巧で、コンセプトではない。

日本発のアート、ファッション、食が、世界を席巻しつつある。
かなり有能な人でさえ、こう発言することが多いが、大きな視野から眺めると
彼我の認識のずれを感じてしまう。

日本の文化はサブカルチャーであり、今のところ決して世界を動かすようなものではない。
等級の高いワインを産み出すことはできても、
等級制度を作り、ワインのマーケットバリューを確立するようなコンセプトは持ち得ない。
等級の優劣は、基本的な水準以上は、誤差の範囲の問題なのだ。
たしなむ喜びはもちろん尊く、私たちはそのための力を身につけねばならないのだが、
そのレベルで満足しているようでは、日本の将来は知れたものだろう。

日本サッカーの伸び悩みや、オリンピック招致失敗を目の当たりにするにつけ
極東の島国のひとりよがりが心配になる。
唯一、鳩山総理の25%削減発言に、私はほのかな期待を抱いている。
うまく行けば、歴史上はじめて、日本がスタンダードを設定し
世界を動かすことができるかもしれないからだ。
コペンハーゲンへは、おっとり刀で駆けつけた総理だが、
環境会議に臨む時は、ぜひ集中して名演説をぶってほしいものと、思う。

2009年9月9日水曜日

もうひとつの9.11

98年テムズ川沿いの病院にピノチェト将軍が入院したとき、
英国のメディアは連日これを伝え政府の対応を質した。
スペイン政府はピノチェトを犯罪者として引き渡しを求めた。

73年9月11日、チリのアジェンダ政権が軍事クーデターで倒されたとき、
陸軍総司令官だったのが、ピノチェトその人だ。
彼はCIAのバックアップを得て蜂起し、後大統領になった。
映画「サンチャゴに雨が降る」は、その経緯を描いている。
タイトルの、サンチャゴに雨が降る、は、その日快晴だった首都に流されたラジオ放送を指している。
市民たちへ国軍の反乱を知らせる暗号だったのだ。
青空の下、おびただしいヘリ、軍用機、戦車が大統領官邸に激しい攻撃を加える。
反抗する市民たちは蹴散らされた。
クーデター後の粛清はさらに残酷だ。
サッカー場で反対派集合を開かせ、スタンドから銃で撃ちまくる。
死者行方不明者は10万名をこえたという。

英国では老将軍を称える人たちもいた。
フォークランド紛争時、英国を支持したからだった。
メディアは非難をつづけ、政府はいったん逮捕収監するが、
国内法で裁く法的根拠がないという理由で、ピノチェトは釈放され、チリへ戻った。

3年前、皮肉なことに国際人権デーの12月10日、ピノチェトは91才で世を去った。
チリのみならず南米の人々にとって、社会民主主義政権が暴力で崩壊した1973年9月11日サンチャゴの悲劇が、 ニューヨークのテロより先に思いだされることに思いを馳せることもまた、 必要ではないかと思う。

2009年8月31日月曜日

正しい選択

ある女優が、どんな男性がタイプかと訊かれて、
やはり、勝ち組?の人がいい。そういう人って、
結局正しい選択をしてきたと思えるからと、答えていた。
わかりやすい答えだが、少なからず愉快ではなかった。
選択は勝ち負けにつながる。
自民・民主の議席数が、そっくり入れ替わる結果になった総選挙。
それぞれの党が行った選択が、有権者の選択へつながった。

この、勝ち負けによる世界判断は、金融から製造業、小売り、流通、サービス、
最近はさらに農業にまで及んでいる。
有識者たちは、これを活性化と呼び、日本の国力復活を叫ぶのだが、
偏屈者の私は、どうも腑に落ちない。
正しいかどうかは、結果次第でどちらにも転ぶからだ。

結果の良し悪しは、時代が決めることも多い。
勝者必ずしも立派ならず、と件の女優に言いたいのだが、
時流に乗れたことは、やはりそれだけで価値あることなのだろう。

私たちは、踊らされるようにできているのだ。

2009年8月20日木曜日

もう一つの改革

メディアの多様性が言われて久しいが、よく考えてみればマスメディアの存在感の大きさに気づく。
この国に残された巨大利権の一つがマスメディアなのだ。
許認可権を総務省に守られたテレビ局は、新聞社と資本で結びついている。
人々が他メディアに浮気し始めたおかげで慌てているが、その影響力は衰えを見せていない。

民主党は、神聖不可侵なその領域にメスを入れると言っている。
いわく、記者クラブの廃止、許認可権のはく奪、NHKへの割り当て電波の削減などなど。
それらの施策は、少しずつメディアを私たちの側へ引き寄せ、透明化しようという試みだ。
影響はおのずとコンテンツにも波及するだろう。
もちろん広告がメディアを支える構造は変わらないと思う。
企業はメディアを通して自らの存在をさらしている。
問題は、そのさらし方が飽きられていることだ。
さらし方とは、TVCMやグラフィック広告をメディアにばらまいて統計をとる手法を指す。
だが、広告代理店もTV局も新聞社も現行のビジネスモデルを手放せないでいる。
霞が関改革について舌鋒鋭いマスメディアだが、
自身が直面する問題については、いっこうに黙して語らない。
自浄能力が欠けていると言わざるを得ない。
そして、改革は外部からやってくる。