2009年10月21日水曜日

軽井沢の死

軽井沢で短い夏を過ごしたことがある。
朝、木立を抜けて自転車を走らせると、ひんやりした空気が次第に湿り気を帯びた温いものに変わっていく。土地の精霊が私を包み込むのだ。
眼前にぱっと現れるせせらぎや、湖沼や古い家々に、目を奪われる。
人の気配と、気配を消そうとする生きものたちのせめぎあいが、密やかに行われているようだった。

この地は、イギリス人たちが故国に似せて町づくりをしたという。
私には、かの地より少し淡白な印象だ。
強いて言えば、ロンドンの北のある会員制ゴルフ場へ向かう道なりが相似しているかもしれない。
古いような新しい感じ。生きているような死んでいるような感じ。

ただ、経済原理が触手を伸ばしてきているために、町は少しずつ変化する。
ひと山当てた人と、ひと山当てようとしている人が共に暮らす。
しかし、軽井沢の風土には、欲望を静める力があるらしい。
ここでは人は皆、おとなしい羊のように散歩する。

自然と共に生きる姿勢は、諦観につながる。
そんな大きなあきらめの層が、この地を覆っていることは確かだと思う。
私より少し年上の、才能にあふれた音楽家が命を断つには、
最適の場所だったのかもしれない。 合掌。

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