マルチチュードという言葉がある。
ラテン語で民衆の意味だが、
最近は、多国籍企業に対する、人々の国境を越えた連帯を示すものとして
使われることが多い。
企業による独占に対し、「共有」を謳う。
林望氏と茂木健一郎氏の対談に、
源氏物語は紫式部一人の手によって書かれたものではないらしい
というようなことが語られている。
何世紀にもわたって、多くの人の手が加わり、現在残っているものとなったというのだ。
平家物語しかり、枕草子しかり。
ここには、オリジナリティとは何ぞやという疑問が提示されている。
昨今の過剰ともいえる著作権擁護の風潮に一石を投じているのだ。
卑近な例で言うと、「おふくろさん」騒動が挙げられる。
原詩に歌い手が文言を付けたして歌ったのを、けしからんとして、作詞が歌い手に歌うのをやめさせた一件。
これなども、長い時間の中で、人々がその歌い手の付加した方を好むようになれば
そちらが残っていく、で良いのかもしれない。
WEB上で、さまざまな商業映像が加工されている現実も
受け入れていってはどうだろうかと、ふと思う。
加工されたものをも新たなオリジナルとして、捉えることはできないだろうか。
それが許容できないものならば、きっと淘汰されていくだろうから。
2009年3月26日木曜日
2009年3月19日木曜日
イノベーション
「諸君!」の廃刊を伝える記事を朝刊紙面の片隅に見つけた。
「月刊現代」はすでに休刊している。
大論総論の時代がやっと終わりを告げるらしい。
国を語る、政治を語る。
これは、おそらく幕末の志士たちから明治大正昭和へつづく軍拡主義を支え、
戦後は、自身の変わり身の早さへの後ろめたさを覆い隠すべく、国が論じられてきた。
考えてみれば,60年70年安保騒ぎもその流れに乗っていたわけで。
私は、長くイギリスに暮らし、かの地においては各論のみが尊ばれ、
大言壮語する輩がマスメディアを跋扈するなど、あり得ないことだったと、記憶する。
何かのために!や、何かいいこと言おう!なんていうさもしさは要らない。
感動させよう、の手管も不要だ。
お説教も御免こうむる。
私たちが自身の思考を古色蒼然とした大思想の軛から解放し、
生きる基本を、エンジョイすることに置くことこそ
真の個の自立を促すと、思う。
今日もフランスでは大規模なストライキが行われているが、
彼らの行動の原動力は、生を楽しむ権利の主張に他ならない。
中田ヤスタカの軽妙な詞を読んでいると、
時代を組みかえるイノベーションが、人々の意識レベルでも行われ始めるているのを感じる。
「月刊現代」はすでに休刊している。
大論総論の時代がやっと終わりを告げるらしい。
国を語る、政治を語る。
これは、おそらく幕末の志士たちから明治大正昭和へつづく軍拡主義を支え、
戦後は、自身の変わり身の早さへの後ろめたさを覆い隠すべく、国が論じられてきた。
考えてみれば,60年70年安保騒ぎもその流れに乗っていたわけで。
私は、長くイギリスに暮らし、かの地においては各論のみが尊ばれ、
大言壮語する輩がマスメディアを跋扈するなど、あり得ないことだったと、記憶する。
何かのために!や、何かいいこと言おう!なんていうさもしさは要らない。
感動させよう、の手管も不要だ。
お説教も御免こうむる。
私たちが自身の思考を古色蒼然とした大思想の軛から解放し、
生きる基本を、エンジョイすることに置くことこそ
真の個の自立を促すと、思う。
今日もフランスでは大規模なストライキが行われているが、
彼らの行動の原動力は、生を楽しむ権利の主張に他ならない。
中田ヤスタカの軽妙な詞を読んでいると、
時代を組みかえるイノベーションが、人々の意識レベルでも行われ始めるているのを感じる。
2009年3月10日火曜日
ユニクロと神社
昨年の春ロンドンで、ユニクロの3店舗を見て廻った。
店はどこも光り輝いていて、清潔できちんとしていたが、何かが欠けている気がした。
もちろん、客足がいまひとつということもあったのだが、
TOP SHOPをはじめとするアングロサクソン系の他店に溢れている熱気とは異なる、 家電売り場にいるような、というかむしろ、厳かとさえ言える不思議な感覚に満たされたのだった。
オックスフォードストリートを外れて大英博物館へ入ったとき、
私はそれが神社の感覚であることに思い至った。
ユニクロ=神社。
デザイン性を排した服のパーツが美しく並べられたレイアウトは世界共通のものだ。
そこに、猥雑や狂乱の入り込む余地はなく、
美は秩序立っていて、余白さえも計算されたものとなっている。
中心にあるのは合理であり、整頓。
これを心地よいと感じるかどうかは人によるだろうが、
面白味はない。
この完璧さへの傾倒は、クルマや家電品をはじめとするすべての日本の大量生産品に共通する。
日本車には色気がないと言われ半世紀が経つが、未だに状況は変わらず、
今や、色気のない服を作り売る会社が最強となっている。
テクノロジーが最強を支えている。
そして神社。
神社には思想がなく、20世紀にはやすやすと国家と一体化した。
21世紀、神社はグローバル企業と一体化するのだろうか
トヨタ・ユニクロ・パナソニック・・・
戦後市場主義の優等生企業が押し広げる地平を日本の誇りにしていいのかどうか。
活況を呈しているユニクロで、意外なほど質感の良いTシャツを手にしながら、天を仰ぐ。
店はどこも光り輝いていて、清潔できちんとしていたが、何かが欠けている気がした。
もちろん、客足がいまひとつということもあったのだが、
TOP SHOPをはじめとするアングロサクソン系の他店に溢れている熱気とは異なる、 家電売り場にいるような、というかむしろ、厳かとさえ言える不思議な感覚に満たされたのだった。
オックスフォードストリートを外れて大英博物館へ入ったとき、
私はそれが神社の感覚であることに思い至った。
ユニクロ=神社。
デザイン性を排した服のパーツが美しく並べられたレイアウトは世界共通のものだ。
そこに、猥雑や狂乱の入り込む余地はなく、
美は秩序立っていて、余白さえも計算されたものとなっている。
中心にあるのは合理であり、整頓。
これを心地よいと感じるかどうかは人によるだろうが、
面白味はない。
この完璧さへの傾倒は、クルマや家電品をはじめとするすべての日本の大量生産品に共通する。
日本車には色気がないと言われ半世紀が経つが、未だに状況は変わらず、
今や、色気のない服を作り売る会社が最強となっている。
テクノロジーが最強を支えている。
そして神社。
神社には思想がなく、20世紀にはやすやすと国家と一体化した。
21世紀、神社はグローバル企業と一体化するのだろうか
トヨタ・ユニクロ・パナソニック・・・
戦後市場主義の優等生企業が押し広げる地平を日本の誇りにしていいのかどうか。
活況を呈しているユニクロで、意外なほど質感の良いTシャツを手にしながら、天を仰ぐ。
登録:
コメント (Atom)
