マルチチュードという言葉がある。
ラテン語で民衆の意味だが、
最近は、多国籍企業に対する、人々の国境を越えた連帯を示すものとして
使われることが多い。
企業による独占に対し、「共有」を謳う。
林望氏と茂木健一郎氏の対談に、
源氏物語は紫式部一人の手によって書かれたものではないらしい
というようなことが語られている。
何世紀にもわたって、多くの人の手が加わり、現在残っているものとなったというのだ。
平家物語しかり、枕草子しかり。
ここには、オリジナリティとは何ぞやという疑問が提示されている。
昨今の過剰ともいえる著作権擁護の風潮に一石を投じているのだ。
卑近な例で言うと、「おふくろさん」騒動が挙げられる。
原詩に歌い手が文言を付けたして歌ったのを、けしからんとして、作詞が歌い手に歌うのをやめさせた一件。
これなども、長い時間の中で、人々がその歌い手の付加した方を好むようになれば
そちらが残っていく、で良いのかもしれない。
WEB上で、さまざまな商業映像が加工されている現実も
受け入れていってはどうだろうかと、ふと思う。
加工されたものをも新たなオリジナルとして、捉えることはできないだろうか。
それが許容できないものならば、きっと淘汰されていくだろうから。

your blog is very good......
返信削除そこを突っ込んでいくと非常に深い話になるのですが、
返信削除アインシュタインの相対性理論にも基本となるモデルが
あり、アートでいえば、ウォホールや村上隆なんかの
アンチテーゼがあったりしますが、突き詰めていくと
全てが1つという所謂、中国TAOの思想に繋がっていく。
(回転する陰陽の思想とも同じ)
これはデジタル複製加速の現代ではそれが顕著
に現れています。それは経済危機と表裏一体で、そこの
中で自分の立ち居地を何処に置くか、今の私の課題でも
あります。