2009年3月26日木曜日

マルチチュード

マルチチュードという言葉がある。
ラテン語で民衆の意味だが、
最近は、多国籍企業に対する、人々の国境を越えた連帯を示すものとして
使われることが多い。
企業による独占に対し、「共有」を謳う。

林望氏と茂木健一郎氏の対談に、
源氏物語は紫式部一人の手によって書かれたものではないらしい
というようなことが語られている。
何世紀にもわたって、多くの人の手が加わり、現在残っているものとなったというのだ。
平家物語しかり、枕草子しかり。

ここには、オリジナリティとは何ぞやという疑問が提示されている。
昨今の過剰ともいえる著作権擁護の風潮に一石を投じているのだ。

卑近な例で言うと、「おふくろさん」騒動が挙げられる。
原詩に歌い手が文言を付けたして歌ったのを、けしからんとして、作詞が歌い手に歌うのをやめさせた一件。
これなども、長い時間の中で、人々がその歌い手の付加した方を好むようになれば
そちらが残っていく、で良いのかもしれない。

WEB上で、さまざまな商業映像が加工されている現実も
受け入れていってはどうだろうかと、ふと思う。
加工されたものをも新たなオリジナルとして、捉えることはできないだろうか。
それが許容できないものならば、きっと淘汰されていくだろうから。

2 件のコメント:

  1. そこを突っ込んでいくと非常に深い話になるのですが、
    アインシュタインの相対性理論にも基本となるモデルが
    あり、アートでいえば、ウォホールや村上隆なんかの
    アンチテーゼがあったりしますが、突き詰めていくと
    全てが1つという所謂、中国TAOの思想に繋がっていく。
    (回転する陰陽の思想とも同じ)
    これはデジタル複製加速の現代ではそれが顕著
    に現れています。それは経済危機と表裏一体で、そこの
    中で自分の立ち居地を何処に置くか、今の私の課題でも
    あります。

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