2009年2月26日木曜日

日本の美

雨の日国立新美術館の加山又造展を訪れた。
http://www.kayamaten.jp/midokoro/chapter2.html

入り口近くに並べられた大作にまず、圧倒される。
奥へ進むほどに、眩暈に見舞われる。
不思議なことに、どの大作も実在の感覚がなく、
そこにモノが描かれていても、それは何かの反映にすぎないように思われる。

なにやら曖昧模糊とした言葉で表すしかないのだが、
作品がきれいであることは、言うを待たない。

きれいであるためには、とにかく完結する必要があるようで、
強引に描き上げてしまっている点、なきにしもあらずの感は、
五木寛之氏がNHK日曜美術館で語っていたように、加山の軽さに通じるのかもしれない。
氏は、その因って来たる所を無常観と語っていた。

それにしても、美しく整えようとする作者の強い意志が私たちを感動させ、
作品を前にした観客は深い溜息をつく。「すばらしい」

一方、私は、乱雑で無秩序な世界をまとめあげようとする作家の達成度合いを測るのだが、
もっと突き詰められる、その先へ、さらに奥へ行けるのではないかという疑問を払拭することができない。

華やかでありながら、整えられた美しい神社の、ある種もの足りなさに通底する
大いなる「日本の美」がそこにある。

2009年2月20日金曜日

広告価値

業界通の知人によると、朝日新聞の実売部数は560万、読売のそれは750万だという。

押し紙問題が表面化するにつれ、媒体価値の下がりつづけている新聞だが、
その取材・調査・分析・編集能力は、一朝一夕には手に入らないものだ。

私たちはブログを中心とする多様なニュースと情報分析の手段を持つようになった。
新聞で得られる深い情報は極めて限定的なものだし、
新聞媒体の持つ「大衆へ知的プライオリティを与える力=ブランド力」に
昔日の面影はない。
ネットを通して、あふれるほどの知的満足感を得られる時代なのだ。

しかし、通信社の配信だけでは知りえない世界・社会構造というものがある。
ブロガーと呼ばれている人たちがどうしたって掴みきれないものがある。
取材そして調査検証。
世界を、現場を突き抜けること。
リアル・現場主義。

新聞記者の価値は依然として取材力にあるのだ。

日本新聞協会によると、総収入に占める広告費の割合は30%、
人件費比率は22%で、
この数字は、ネット無料配信の可能性を探る一助となるのではないか。
用紙代も印刷費もゼロになるのだから、経費をどうするかは残るにしろ
広告だけで食べることも、あながち不可能とは言えない。

情報の価値は、広告価値のことだ。
その価値はこの先、メディアによって
エルメスとユニクロほどの価格差となって現われてくるような気がする。

広告不況に突入と言われるが、
1997年度と2007年度を比較すると、
GDPは同じでありながら
総広告費は17%も伸びている事実も付け加えておきたい。

2009年2月13日金曜日

宮沢りえの結婚

バレンタインの前日だというのに、宮沢りえが妊娠6か月で結婚のニュースだ。
できちゃった婚というわけだが、これは様々に言い換えられてもいる。
おめでた婚、あるいは中出し婚(ああ、想像したくない)などなど。
言い換えは、日本のお家芸、もはや文化といえる。

たとえば、公的資金投入。
これは、税金投入の言い換えだ。
英語で、public fund などとは言わない。
taxpayers' money とはっきり表現される。

役人による官費の私的流用は、横領の言い換えだし、
自衛隊派遣は、派兵の言い換え
太平洋戦争時、大本営は、南方戦線からの敗走を、転進と言い換えた。
マスコミもこの種の言い換えに異議を唱えない。
まさしく、日本文化。
この世に生きとし生けるものは、皆時空とともに変化する。
諸行無常。
麻生首相の言動がころころ変わるのも、文化だと思いいたる。

2009年2月6日金曜日

モノの力

味の素のクノールスープのCMを見ていて思った。
「おいしさの秘密は、1年で2週間しかない、いちばんおいしい時期に収穫して、甘さのピークでパウダーに」
http://www.ajinomoto.co.jp/cm/tvcm/cm001008CS30_high.html

てことは、いちばんおいしいトウモロコシを買い占めて工場で粉末にしてしまうってこと。

これを、ひどいと感じる人間もかなりいるのではないか。
少なくとも私は、いちばんおいしい時期のものは、自然のまま食したい。
化学的に加工して、均一な味の製品になどしないでくれないかなと、思う。
といって、味の素のビジネスを否定するものでもない。
クノールはおいしいし、便利でありがたい。
問題は、その意味なのだ。

モノの力を見直すべき時代が始まっている。

広告はイメージの力で、モノを手に入れたくさせるわけだが、
今求められているのは、モノにどれだけ肉薄できるかということだと思う。
モノになぜ力があるかというと、モノに意味があるからだ。
逆に言うと、意味のないモノは力がない。
広告はモノの意味を明確に提示できなければその存在価値を失うのだ。

昨今のCMを見るにつけ、その惨状に目を覆いたくなるのは私だけではないだろう。
モノをきちんと捉えてない広告は、魅力的であろうはずがない。
コンテンツとして、ただ面白いだけでは心は動かない。

深く心を動かされたいではないか。

モノの力。
バーチャルな世界はメディアを席巻し続けるだろうけれど
究極的には、モノの力が世界を変える。

モノとして扱われてきた派遣社員たちが今、力をつかみつつあるように。