2009年4月24日金曜日

国のデザイン

イギリスが金融で食べる国というイメージを確立したのはそんなに昔のことではない。
95年に私が渡英した頃、ロンドンはまだ中心地のあちこちが空きオフィス・空き店舗だらけだった。
それが、あれよあれよという間に再生し、2000年には高層ビルの建設ラッシュが始まっていた。
潤った財布でブラウン首相は、イギリスが環境分野での新たな産業革命の先陣を切ると いち早くぶち上げたものだ。
オバマ氏より3年前のことだった。

イギリスからは、90年代に世界的なファッションデザイナーやCGクリエーター、料理人が輩出され、 オリンピックの金メダル数も日本をはるかに凌駕するようになった。
2008年の全世界アルバム販売枚数も、1位から5位までをイギリス勢が独占している。
(コールドプレイ660万枚、エイミーワインハウス510万枚、AC/DC500万枚、ダフィ450万枚、レオナルイス430万枚)
英語はもとより、アート、音楽、ガーデニングを学びに世界中から人が集まり、
政治と外交の洗練もまた、世界に冠たるものがある。

とはいえ、イギリスはいわゆる徹底した効率主義の国ではない。
社会にはすこぶる緩やかな時間が流れている。
国中に点在する広大な緑地帯で暮らすアナグマと同じ時の流れを共有しているようなところがあって 人々は、時に怠惰かと見まごうほどに悠然としている。
かの国は、社会全体が横軸からも縦軸からもわかりやすく色分けされていて
各分野をサポートする体制がはっきり見て取れるのだ。

イギリスが国として巧みにデザインされていると感じるのは私だけではないだろう。

ひるがえって日本は、あまりに諸々雑多な樹が立っていて、
根は絡み合い、葉は茂りに茂り、 エネルギーはあるのだが、いかにもわかりにくい。
問題は山積みである。
お国も近頃は何とか色付けしなくてはと思い始めたらしく、
ジャパンブランドなどと標榜するが、 自らをブランドと銘打って発信するというのもどうか。

気恥ずかしいかぎりではないか。

2009年4月20日月曜日

よき時代の終焉

昔の仕事仲間の一人に気のいいイタリア人がいて、モンテカルロに家とクルーザーを持つ羽振りの良さだったが、ある年脱税でやられた。
ケイマン島やルーマニア、ポーランドなどおよそ不可解な複数口座を所有し、私も何度か振り込むことがあったので、ああ、やっぱりという印象だった。
その彼が1年半後出獄して、コスタリカへ移住できたのは、
当時のイタリア警察の捜査の手が同国までは伸びなかったからに他ならない。

G20で、透明性に問題のあるタックスヘイブンとして初めて挙げられた4地域に、コスタリカが入っていて彼のことを思い出した。
移住直後、何度か連絡があり、遊びに来ないかと誘われた。
電話の向こうから、いつもトロピカルな音楽と笑い声が聞こえていたことを覚えている。
全世界の動植物種の5パーセントが棲息するコスタリカは、四国と九州を合わせたほどの面積の国らしい。彼の静かな生活は羨ましいかぎりだ。
ヨーロッパでのビジネスでは、ルガノ、モナコ、ケイマン、ジャージーは馴染みの深い名前だった。
取引相手の何人かは、フィリピンやウルグアイにセカンドハウスを構えていた。
どこも今回指摘された地域になっている。

しかし、彼らにとって、よき時代は終焉を迎えようとしている。
世界中でこれだけ多額の税金が投入されている以上、
税を逃れる彼らの生き方を世界は許さないだろう。
イタリア人は、さらなる旅に出るのだろうか。

2009年4月15日水曜日

サプリとしての教養

教養の衰退が叫ばれて久しい。
だが、古典的知のたしなみだった教養を必要とする議論は深まらない。
むしろ、そんなもの役に立たないという考えが主流を占めているようだ。

昨今のビジネスミーティングでは、ベートーベンやプルーストやサルトルが話題に上ることなどなく
むしろ、地球環境問題への造詣の深さが問われるという。
あるいは、ダルフールやジンバブエ問題についての見識のあるなしが問題なのだと。

要するに、役に立つかどうか。
ITとファイナンスと英語力に上記の問題意識をプラスして、世界に伍していこう。
というのが、どうやら日本の知的エリートの平均的意見らしい。

グローバライゼーションとは、人間の価値を徹底して有用価値に換えていく。
教養の生き残る道も、どうやらサプリメントとして仕分けされてしかないらしい。

ここで、疑ってみる。
役に立つかどうかの価値観は、明治の富国強兵のときのそれと似通っていないか。
国のため、社会のため、会社のためには、我慢するという美徳。
そこには、まず人が安穏に暮すことを最上の価値とするコモンセンスはない。
安穏に暮すのは、負け犬か無役の者の宿命にすぎないからだ。

筆者は高等遊民を志して生きてきたのだが、遊民などという言葉自体、風前の灯のようである。

2009年4月7日火曜日

集団知ビジネス

集団知はIT社会を語るとき、しばしば俎上に挙げられるテーマで
代表例として,ウィキペディアとリナックスがある。
グーグルもそう言えるだろう。
P&Gも商品開発では、すでに同じスタイルをとっていると聞く。

大前研一氏によると、集団知経営という概念が今後現実化していくことになるらしい。
1人の代表者が、こうしますと宣言し、会社の経営方針を決めるのではなく
社内外の知恵を集積して会社を方向づけていくというのだ。

アメリカに、CSA(Community Support Agriculture)という手法がある。
農場に消費者が出資し、栽培経費を分担することで収穫物を独占的に入手できるというもので
有機野菜などの分野で活況を呈しているという。www.twosmallfarms.com/
この手法によって、農家は農業を事業として安定させることができ、
ユーザーのニーズも把握することが容易になる。

これらは、従来の合議制やコープとは異なる新しいビジネスモデルとして、
今後いっそうの洗練が必要だろうが、確実にビジネスの大きな潮流になっていくと思われる。
ただ、今のところは、経営体としては緩いモノであるのは否めず、
激しい市場競争を勝ち抜いていけるのかどうかが、問われてもいる。