2009年4月15日水曜日

サプリとしての教養

教養の衰退が叫ばれて久しい。
だが、古典的知のたしなみだった教養を必要とする議論は深まらない。
むしろ、そんなもの役に立たないという考えが主流を占めているようだ。

昨今のビジネスミーティングでは、ベートーベンやプルーストやサルトルが話題に上ることなどなく
むしろ、地球環境問題への造詣の深さが問われるという。
あるいは、ダルフールやジンバブエ問題についての見識のあるなしが問題なのだと。

要するに、役に立つかどうか。
ITとファイナンスと英語力に上記の問題意識をプラスして、世界に伍していこう。
というのが、どうやら日本の知的エリートの平均的意見らしい。

グローバライゼーションとは、人間の価値を徹底して有用価値に換えていく。
教養の生き残る道も、どうやらサプリメントとして仕分けされてしかないらしい。

ここで、疑ってみる。
役に立つかどうかの価値観は、明治の富国強兵のときのそれと似通っていないか。
国のため、社会のため、会社のためには、我慢するという美徳。
そこには、まず人が安穏に暮すことを最上の価値とするコモンセンスはない。
安穏に暮すのは、負け犬か無役の者の宿命にすぎないからだ。

筆者は高等遊民を志して生きてきたのだが、遊民などという言葉自体、風前の灯のようである。

1 件のコメント:

  1. 日本の表層的インテリの間では、そのような感覚が
    流行っているような気がしますが、さらに学術の分野では
    即座に論文が公開され、それがかなり歴史的部分を踏まえた
    部分であったり、人類学的には宗教、哲学までも内包
    していたり・・・。
    そんなこんなで、自分の周辺では逆にビッグバン前夜的な
    匂いも感じられたりもします。まあ私的な部分でもあるので
    言うほどの事もないかもしれませんが。(笑)
    所謂エッジな人間は、今非常に盛り上がっている事は
    確かです。

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