世界を乱暴に「上」と「下」に分けてみる。
人類が連綿と練り上げてきた知や芸術や民主主義や文化全般、そして富。
それらは、おしなべて「上」にかたより、「下」には、貧困と低い民度・知識・技能が残される。
この対立はしばしば物語として、富めるものたちに親しまれ
シンデレラや小公女や、近くはミシェル・オバマなどまで。
テーマは下部構造から上部構造への飛躍であり、
であるからこそのハッピーエンドが用意されている。
生活に潤いをもたらす手法は、さまざま考案されてきたが、
みな「上」で消費される。
「下」は、たとえばギリシャの彫像を壊し、アフガンの仏像を破壊し
国際貿易センターへ旅客機ごと突っ込んだりする節度のなさを露呈してしまう。
だからこそ「上」は「下」の啓蒙を試みてきた。
エンターテインメントはそのための大きな役割を果たしてきた。
強者が弱者を食べるシーンが、動物ドキュメンタリーには必ず登場する。
私たちは格差を好むのだ。
ダイナミズムが生まれるからだし、ギャップの存在は気流の移動にも一役買っている。
もちろん、これは「上」かそれに準ずるポジションに属する者にとっての楽しみであり、 「下」にとっては残虐そのもののとんでもない話だ。
私たちが信じている世界の方向性とは正反対の世界、ひっくり返った社会、
そのイメージに私たちは恐怖する。
「下」の視点を持つのは極めて難しいので、私たちは恐怖におののくしかないのだ。
「下」が「下」の論理で、世界を構築する可能性はあるのだろうか。
全てをはく奪された人々が、荒々しくやって来るその日、
「上」が作り上げたITも、グローバリズムも、アートも金融もクオリティライフも意味をなさなくなる。
SFぽい妄想かもしれないが、何もかもが逆転してしまった世界を
私たちはまだ経験したことがない。
しかし、もしかしたら、それは可能性に満ちた世界なのかもしれず、
現在よりずっと安定した日々が営まれる場合だってあるのだ。

0 件のコメント:
コメントを投稿