昼食代を500円基準にしたのは、赤坂に来てからのことだ。
その前は天王洲アイルという辺鄙な場所にいて、
500円ランチなど存在すらしなかった。
この町では、450円から500円、650円あたりで、
十分食欲を満たす昼飯を食える。
富士そばで、丼をかきこむ日も含めると、
週5日で、2500円弱。月に直すと11000円弱で収まる。
夜、呑んだりして4-5000円払うようなとき、
これは昼食2週分だと思うようにする。
実にもったいない。
欧米人の感覚は、こんなものだと思う。
その分、ホリデーやガーデニングに使ったりして
一人当たりGDPは日本の上の水準をいっている。
デフレと言って脅す人が多いけれど、およそ日常生活レベルの商品は
安くて構わないのではないか。
消費支出の仕分けをして、よく稼ぐ人たちが、どんと金を使える産業を育てれば良いだけはないかと
私は思う。
たいして多くを望まなければ、世界一安く暮らせる国を作りましょうぞ。
2009年12月17日木曜日
2009年10月21日水曜日
軽井沢の死
軽井沢で短い夏を過ごしたことがある。
朝、木立を抜けて自転車を走らせると、ひんやりした空気が次第に湿り気を帯びた温いものに変わっていく。土地の精霊が私を包み込むのだ。
眼前にぱっと現れるせせらぎや、湖沼や古い家々に、目を奪われる。
人の気配と、気配を消そうとする生きものたちのせめぎあいが、密やかに行われているようだった。
この地は、イギリス人たちが故国に似せて町づくりをしたという。
私には、かの地より少し淡白な印象だ。
強いて言えば、ロンドンの北のある会員制ゴルフ場へ向かう道なりが相似しているかもしれない。
古いような新しい感じ。生きているような死んでいるような感じ。
ただ、経済原理が触手を伸ばしてきているために、町は少しずつ変化する。
ひと山当てた人と、ひと山当てようとしている人が共に暮らす。
しかし、軽井沢の風土には、欲望を静める力があるらしい。
ここでは人は皆、おとなしい羊のように散歩する。
自然と共に生きる姿勢は、諦観につながる。
そんな大きなあきらめの層が、この地を覆っていることは確かだと思う。
私より少し年上の、才能にあふれた音楽家が命を断つには、
最適の場所だったのかもしれない。 合掌。
朝、木立を抜けて自転車を走らせると、ひんやりした空気が次第に湿り気を帯びた温いものに変わっていく。土地の精霊が私を包み込むのだ。
眼前にぱっと現れるせせらぎや、湖沼や古い家々に、目を奪われる。
人の気配と、気配を消そうとする生きものたちのせめぎあいが、密やかに行われているようだった。
この地は、イギリス人たちが故国に似せて町づくりをしたという。
私には、かの地より少し淡白な印象だ。
強いて言えば、ロンドンの北のある会員制ゴルフ場へ向かう道なりが相似しているかもしれない。
古いような新しい感じ。生きているような死んでいるような感じ。
ただ、経済原理が触手を伸ばしてきているために、町は少しずつ変化する。
ひと山当てた人と、ひと山当てようとしている人が共に暮らす。
しかし、軽井沢の風土には、欲望を静める力があるらしい。
ここでは人は皆、おとなしい羊のように散歩する。
自然と共に生きる姿勢は、諦観につながる。
そんな大きなあきらめの層が、この地を覆っていることは確かだと思う。
私より少し年上の、才能にあふれた音楽家が命を断つには、
最適の場所だったのかもしれない。 合掌。
2009年10月5日月曜日
日本の錯覚
日本橋で、日本伝統工芸展を見た。
日本各地で作られている工芸品は、その洗練も、繊細も、渋みも、現代性も、
見る者を圧倒してやまない。集中して一点ずつ丹念に見ていると頭痛がしてくるほど。
作り手の精緻さに対する強い思いが伝わってくるのだ。
この思いは、カナレットのベニス大運河や木原康行の版画にも感じられるものだが、
工芸品にあるのは技巧で、コンセプトではない。
日本発のアート、ファッション、食が、世界を席巻しつつある。
かなり有能な人でさえ、こう発言することが多いが、大きな視野から眺めると
彼我の認識のずれを感じてしまう。
日本の文化はサブカルチャーであり、今のところ決して世界を動かすようなものではない。
等級の高いワインを産み出すことはできても、
等級制度を作り、ワインのマーケットバリューを確立するようなコンセプトは持ち得ない。
等級の優劣は、基本的な水準以上は、誤差の範囲の問題なのだ。
たしなむ喜びはもちろん尊く、私たちはそのための力を身につけねばならないのだが、
そのレベルで満足しているようでは、日本の将来は知れたものだろう。
日本サッカーの伸び悩みや、オリンピック招致失敗を目の当たりにするにつけ
極東の島国のひとりよがりが心配になる。
唯一、鳩山総理の25%削減発言に、私はほのかな期待を抱いている。
うまく行けば、歴史上はじめて、日本がスタンダードを設定し
世界を動かすことができるかもしれないからだ。
コペンハーゲンへは、おっとり刀で駆けつけた総理だが、
環境会議に臨む時は、ぜひ集中して名演説をぶってほしいものと、思う。
日本各地で作られている工芸品は、その洗練も、繊細も、渋みも、現代性も、
見る者を圧倒してやまない。集中して一点ずつ丹念に見ていると頭痛がしてくるほど。
作り手の精緻さに対する強い思いが伝わってくるのだ。
この思いは、カナレットのベニス大運河や木原康行の版画にも感じられるものだが、
工芸品にあるのは技巧で、コンセプトではない。
日本発のアート、ファッション、食が、世界を席巻しつつある。
かなり有能な人でさえ、こう発言することが多いが、大きな視野から眺めると
彼我の認識のずれを感じてしまう。
日本の文化はサブカルチャーであり、今のところ決して世界を動かすようなものではない。
等級の高いワインを産み出すことはできても、
等級制度を作り、ワインのマーケットバリューを確立するようなコンセプトは持ち得ない。
等級の優劣は、基本的な水準以上は、誤差の範囲の問題なのだ。
たしなむ喜びはもちろん尊く、私たちはそのための力を身につけねばならないのだが、
そのレベルで満足しているようでは、日本の将来は知れたものだろう。
日本サッカーの伸び悩みや、オリンピック招致失敗を目の当たりにするにつけ
極東の島国のひとりよがりが心配になる。
唯一、鳩山総理の25%削減発言に、私はほのかな期待を抱いている。
うまく行けば、歴史上はじめて、日本がスタンダードを設定し
世界を動かすことができるかもしれないからだ。
コペンハーゲンへは、おっとり刀で駆けつけた総理だが、
環境会議に臨む時は、ぜひ集中して名演説をぶってほしいものと、思う。
2009年9月9日水曜日
もうひとつの9.11
98年テムズ川沿いの病院にピノチェト将軍が入院したとき、
英国のメディアは連日これを伝え政府の対応を質した。
スペイン政府はピノチェトを犯罪者として引き渡しを求めた。
73年9月11日、チリのアジェンダ政権が軍事クーデターで倒されたとき、
陸軍総司令官だったのが、ピノチェトその人だ。
彼はCIAのバックアップを得て蜂起し、後大統領になった。
映画「サンチャゴに雨が降る」は、その経緯を描いている。
タイトルの、サンチャゴに雨が降る、は、その日快晴だった首都に流されたラジオ放送を指している。
市民たちへ国軍の反乱を知らせる暗号だったのだ。
青空の下、おびただしいヘリ、軍用機、戦車が大統領官邸に激しい攻撃を加える。
反抗する市民たちは蹴散らされた。
クーデター後の粛清はさらに残酷だ。
サッカー場で反対派集合を開かせ、スタンドから銃で撃ちまくる。
死者行方不明者は10万名をこえたという。
英国では老将軍を称える人たちもいた。
フォークランド紛争時、英国を支持したからだった。
メディアは非難をつづけ、政府はいったん逮捕収監するが、
国内法で裁く法的根拠がないという理由で、ピノチェトは釈放され、チリへ戻った。
3年前、皮肉なことに国際人権デーの12月10日、ピノチェトは91才で世を去った。
チリのみならず南米の人々にとって、社会民主主義政権が暴力で崩壊した1973年9月11日サンチャゴの悲劇が、 ニューヨークのテロより先に思いだされることに思いを馳せることもまた、 必要ではないかと思う。
英国のメディアは連日これを伝え政府の対応を質した。
スペイン政府はピノチェトを犯罪者として引き渡しを求めた。
73年9月11日、チリのアジェンダ政権が軍事クーデターで倒されたとき、
陸軍総司令官だったのが、ピノチェトその人だ。
彼はCIAのバックアップを得て蜂起し、後大統領になった。
映画「サンチャゴに雨が降る」は、その経緯を描いている。
タイトルの、サンチャゴに雨が降る、は、その日快晴だった首都に流されたラジオ放送を指している。
市民たちへ国軍の反乱を知らせる暗号だったのだ。
青空の下、おびただしいヘリ、軍用機、戦車が大統領官邸に激しい攻撃を加える。
反抗する市民たちは蹴散らされた。
クーデター後の粛清はさらに残酷だ。
サッカー場で反対派集合を開かせ、スタンドから銃で撃ちまくる。
死者行方不明者は10万名をこえたという。
英国では老将軍を称える人たちもいた。
フォークランド紛争時、英国を支持したからだった。
メディアは非難をつづけ、政府はいったん逮捕収監するが、
国内法で裁く法的根拠がないという理由で、ピノチェトは釈放され、チリへ戻った。
3年前、皮肉なことに国際人権デーの12月10日、ピノチェトは91才で世を去った。
チリのみならず南米の人々にとって、社会民主主義政権が暴力で崩壊した1973年9月11日サンチャゴの悲劇が、 ニューヨークのテロより先に思いだされることに思いを馳せることもまた、 必要ではないかと思う。
2009年8月31日月曜日
正しい選択
ある女優が、どんな男性がタイプかと訊かれて、
やはり、勝ち組?の人がいい。そういう人って、
結局正しい選択をしてきたと思えるからと、答えていた。
わかりやすい答えだが、少なからず愉快ではなかった。
選択は勝ち負けにつながる。
自民・民主の議席数が、そっくり入れ替わる結果になった総選挙。
それぞれの党が行った選択が、有権者の選択へつながった。
この、勝ち負けによる世界判断は、金融から製造業、小売り、流通、サービス、
最近はさらに農業にまで及んでいる。
有識者たちは、これを活性化と呼び、日本の国力復活を叫ぶのだが、
偏屈者の私は、どうも腑に落ちない。
正しいかどうかは、結果次第でどちらにも転ぶからだ。
結果の良し悪しは、時代が決めることも多い。
勝者必ずしも立派ならず、と件の女優に言いたいのだが、
時流に乗れたことは、やはりそれだけで価値あることなのだろう。
私たちは、踊らされるようにできているのだ。
やはり、勝ち組?の人がいい。そういう人って、
結局正しい選択をしてきたと思えるからと、答えていた。
わかりやすい答えだが、少なからず愉快ではなかった。
選択は勝ち負けにつながる。
自民・民主の議席数が、そっくり入れ替わる結果になった総選挙。
それぞれの党が行った選択が、有権者の選択へつながった。
この、勝ち負けによる世界判断は、金融から製造業、小売り、流通、サービス、
最近はさらに農業にまで及んでいる。
有識者たちは、これを活性化と呼び、日本の国力復活を叫ぶのだが、
偏屈者の私は、どうも腑に落ちない。
正しいかどうかは、結果次第でどちらにも転ぶからだ。
結果の良し悪しは、時代が決めることも多い。
勝者必ずしも立派ならず、と件の女優に言いたいのだが、
時流に乗れたことは、やはりそれだけで価値あることなのだろう。
私たちは、踊らされるようにできているのだ。
2009年8月20日木曜日
もう一つの改革
メディアの多様性が言われて久しいが、よく考えてみればマスメディアの存在感の大きさに気づく。
この国に残された巨大利権の一つがマスメディアなのだ。
許認可権を総務省に守られたテレビ局は、新聞社と資本で結びついている。
人々が他メディアに浮気し始めたおかげで慌てているが、その影響力は衰えを見せていない。
民主党は、神聖不可侵なその領域にメスを入れると言っている。
いわく、記者クラブの廃止、許認可権のはく奪、NHKへの割り当て電波の削減などなど。
それらの施策は、少しずつメディアを私たちの側へ引き寄せ、透明化しようという試みだ。
影響はおのずとコンテンツにも波及するだろう。
もちろん広告がメディアを支える構造は変わらないと思う。
企業はメディアを通して自らの存在をさらしている。
問題は、そのさらし方が飽きられていることだ。
さらし方とは、TVCMやグラフィック広告をメディアにばらまいて統計をとる手法を指す。
だが、広告代理店もTV局も新聞社も現行のビジネスモデルを手放せないでいる。
霞が関改革について舌鋒鋭いマスメディアだが、
自身が直面する問題については、いっこうに黙して語らない。
自浄能力が欠けていると言わざるを得ない。
そして、改革は外部からやってくる。
この国に残された巨大利権の一つがマスメディアなのだ。
許認可権を総務省に守られたテレビ局は、新聞社と資本で結びついている。
人々が他メディアに浮気し始めたおかげで慌てているが、その影響力は衰えを見せていない。
民主党は、神聖不可侵なその領域にメスを入れると言っている。
いわく、記者クラブの廃止、許認可権のはく奪、NHKへの割り当て電波の削減などなど。
それらの施策は、少しずつメディアを私たちの側へ引き寄せ、透明化しようという試みだ。
影響はおのずとコンテンツにも波及するだろう。
もちろん広告がメディアを支える構造は変わらないと思う。
企業はメディアを通して自らの存在をさらしている。
問題は、そのさらし方が飽きられていることだ。
さらし方とは、TVCMやグラフィック広告をメディアにばらまいて統計をとる手法を指す。
だが、広告代理店もTV局も新聞社も現行のビジネスモデルを手放せないでいる。
霞が関改革について舌鋒鋭いマスメディアだが、
自身が直面する問題については、いっこうに黙して語らない。
自浄能力が欠けていると言わざるを得ない。
そして、改革は外部からやってくる。
2009年8月10日月曜日
タレントの自立
子どものため、子どものためと唱えながら過保護に走る親がいる。
過保護とは過干渉でもあり、これによって子は自立が難しくなる。
この種の子供たちが突然信じがたい暴走をはじめるとき、事件は起きる。
酒井法子事件にも同じ匂いを感じた。
タレント管理という言葉がよく使われるが、
10代から芸能界で働きはじめるアイドルたちの自立を阻害しているような気がしてならない。
一種の人権侵害ではないかと思うのだが、社会は彼らを半人前扱いしてよしとしているようだ。
当のタレントたちがまた、「親」離れしていない場合が多いせいでもある。
ただ、親と言っても所詮は金の繋がりだ。
タレントの真の意味の自立を、所属事務所は好まない。
酒井は、14才からプロダクション社長宅に住み込みで働いてきた。
幼少時に両親が離婚し、母親とは4才で死別、父親は再婚して、彼女が18才の時事故死する。
腹違いの弟は、父同様のやくざ稼業だという。
30代になった彼女の真の自立に必要なしっかりとした世界観を与えるどころか
転落へと導いた男。
青山のプレイボーイは、彼女にとってどれほど輝きがあったのだろう。
彼女が自分自身に甘えていたのは確かなことだ。
ただ、実のところ彼女に本当に甘えられる人はいなかったし おそらく今もいないのだろう。
そんな彼女が、母でもある現実に胸が痛む。
過保護とは過干渉でもあり、これによって子は自立が難しくなる。
この種の子供たちが突然信じがたい暴走をはじめるとき、事件は起きる。
酒井法子事件にも同じ匂いを感じた。
タレント管理という言葉がよく使われるが、
10代から芸能界で働きはじめるアイドルたちの自立を阻害しているような気がしてならない。
一種の人権侵害ではないかと思うのだが、社会は彼らを半人前扱いしてよしとしているようだ。
当のタレントたちがまた、「親」離れしていない場合が多いせいでもある。
ただ、親と言っても所詮は金の繋がりだ。
タレントの真の意味の自立を、所属事務所は好まない。
酒井は、14才からプロダクション社長宅に住み込みで働いてきた。
幼少時に両親が離婚し、母親とは4才で死別、父親は再婚して、彼女が18才の時事故死する。
腹違いの弟は、父同様のやくざ稼業だという。
30代になった彼女の真の自立に必要なしっかりとした世界観を与えるどころか
転落へと導いた男。
青山のプレイボーイは、彼女にとってどれほど輝きがあったのだろう。
彼女が自分自身に甘えていたのは確かなことだ。
ただ、実のところ彼女に本当に甘えられる人はいなかったし おそらく今もいないのだろう。
そんな彼女が、母でもある現実に胸が痛む。
2009年8月4日火曜日
自民党のマニフェスト
自民党マニフェストを見て愕然とした。
どういう理由で広告代理店のプレゼンテーションのようなノリを採用したのだろう。
基本的に何も考えていないような印象を与えているのではないか。
これが、わが日本の政権党の末期症状ということなのか。
私自身広告界の片隅を走り回ってきたのだが、
常々、広告屋には思想が欠けていると感じてきた。
お得意さんの気に入るような気の利いたアイディアを生み出すことに汲々としてきたのだから、 そんなものは邪魔だったわけで、その結果メディアが多様化し、人々の関心が重層化して 、ほかならぬ個人がブログやらTwitterやらで自ら広告を発信しつつある時代 深く企業と商品と社会の関わりを捉え、強い思考に裏打ちされた新しい広告の形を作らないかぎり、 業界の未来は危ういと思う。
ビジュアルショックや耳触りの良いコピーで、人々を目くらます手法の賞味期限は切れつつある。
自民党マニフェストを眺めながら、今の広告の力が確実に落ちてきていることを感じざるを得なかった。
どういう理由で広告代理店のプレゼンテーションのようなノリを採用したのだろう。
基本的に何も考えていないような印象を与えているのではないか。
これが、わが日本の政権党の末期症状ということなのか。
私自身広告界の片隅を走り回ってきたのだが、
常々、広告屋には思想が欠けていると感じてきた。
お得意さんの気に入るような気の利いたアイディアを生み出すことに汲々としてきたのだから、 そんなものは邪魔だったわけで、その結果メディアが多様化し、人々の関心が重層化して 、ほかならぬ個人がブログやらTwitterやらで自ら広告を発信しつつある時代 深く企業と商品と社会の関わりを捉え、強い思考に裏打ちされた新しい広告の形を作らないかぎり、 業界の未来は危ういと思う。
ビジュアルショックや耳触りの良いコピーで、人々を目くらます手法の賞味期限は切れつつある。
自民党マニフェストを眺めながら、今の広告の力が確実に落ちてきていることを感じざるを得なかった。
2009年7月24日金曜日
鍵パズル
大林宣彦氏がCMディレクターとして活躍されていたころ
TVCMは鍵パズルのようなものだと語られていたことがある。
新人だった私は監督を取り巻くスタッフ陣の隅にいて、 話を聞いていた。
スポンサー・代理店・視聴者そして、われわれ制作者がいる、と監督は言った。
それぞれの異なる思惑を調整し、巧みにパズルを完成させるのが、
監督の手腕だな。
滔々と述べられる中、だからいわゆる独創性とは別次元の仕事なのだと言われたことを よく記憶している。
まだ今ほど同一商品のあふれる社会ではなかったが、核心をついた意見だと思った。
その後、マスの魔法が解け、効率とパフォーマンスに重きを置くマーケティング主導の時代となった。
マーケ主導の顛末を見るには、ファッション業界を例にとるとわかりやすい。
今や独創的なデザインは影をひそめ、ボリュームとして売りきるために
その時々の我らが求めるデザインが、すばやく提供されるようになった。
真の意味の驚きとか発見からは程遠い明快な世界観がそこにある。
ユニクロはファッションには分類されないが、典型的だし、
今や農業から公共事業、何から何までマーケティング力が問われている。
マーケティングが研ぎ澄まされればされるほど、私たちは淀みない世界を生きることになるのだが
中心にあるのは経済感覚でしかないので、私たちを本質的に揺さぶれない。
もちろん、何から何までには、広告産業も含まれる。
制作者たちはもの作りの達人として職務を全うしていることに変わりはないが、
渡される設計図は魅力的とは言えないものとなっている。
21世紀における鍵パズルとは何か。
もう一度考えてみた方が良いのではないか。
広告までつまらなくなる必要はないのだから。
TVCMは鍵パズルのようなものだと語られていたことがある。
新人だった私は監督を取り巻くスタッフ陣の隅にいて、 話を聞いていた。
スポンサー・代理店・視聴者そして、われわれ制作者がいる、と監督は言った。
それぞれの異なる思惑を調整し、巧みにパズルを完成させるのが、
監督の手腕だな。
滔々と述べられる中、だからいわゆる独創性とは別次元の仕事なのだと言われたことを よく記憶している。
まだ今ほど同一商品のあふれる社会ではなかったが、核心をついた意見だと思った。
その後、マスの魔法が解け、効率とパフォーマンスに重きを置くマーケティング主導の時代となった。
マーケ主導の顛末を見るには、ファッション業界を例にとるとわかりやすい。
今や独創的なデザインは影をひそめ、ボリュームとして売りきるために
その時々の我らが求めるデザインが、すばやく提供されるようになった。
真の意味の驚きとか発見からは程遠い明快な世界観がそこにある。
ユニクロはファッションには分類されないが、典型的だし、
今や農業から公共事業、何から何までマーケティング力が問われている。
マーケティングが研ぎ澄まされればされるほど、私たちは淀みない世界を生きることになるのだが
中心にあるのは経済感覚でしかないので、私たちを本質的に揺さぶれない。
もちろん、何から何までには、広告産業も含まれる。
制作者たちはもの作りの達人として職務を全うしていることに変わりはないが、
渡される設計図は魅力的とは言えないものとなっている。
21世紀における鍵パズルとは何か。
もう一度考えてみた方が良いのではないか。
広告までつまらなくなる必要はないのだから。
2009年7月14日火曜日
ぜいたくの行方
少し前、タイムズ紙に「走ってみたい世界の道ベスト20」というのがあった。
カラハリ砂漠、キューバ、アルザスワイン街道、ニューイングランド、南インド、北アイルランド、ヴェローナ、南仏、エストニア、スコットランド、ニュージーランド南島、オマーン、オーストラリアサバンナ、カロライナ、南ア、ギリシャ、キーウエスト、エジプト、ウエールズ。
いくつかは走ったことがある。
どこも素晴らしい道だ。
車がPCと同じような商材となるという予測がある。
移動のためのツールとして、環境負荷のない合理的デバイスになる
ということなのだろう。
つまらない。
時には100キロを越すスピードでどこまでも走りつづける喜びは
ぜいたくすぎる行為になるのだとしたら、
ああせめて、最後のひと花咲かせたい
と願うのは人情だろう。
春あけぼののカラハリ砂漠に始まって、
夏の北スペイン、
秋のニューイングランド、
そして冬には南インド。
今の内に踏破しておくのが賢明かもしれない。
アクセル全開で、思い切りのぜいたくをするぞ。
その前に、そのための時間を都合つけなければばらないのだが。
カラハリ砂漠、キューバ、アルザスワイン街道、ニューイングランド、南インド、北アイルランド、ヴェローナ、南仏、エストニア、スコットランド、ニュージーランド南島、オマーン、オーストラリアサバンナ、カロライナ、南ア、ギリシャ、キーウエスト、エジプト、ウエールズ。
いくつかは走ったことがある。
どこも素晴らしい道だ。
車がPCと同じような商材となるという予測がある。
移動のためのツールとして、環境負荷のない合理的デバイスになる
ということなのだろう。
つまらない。
時には100キロを越すスピードでどこまでも走りつづける喜びは
ぜいたくすぎる行為になるのだとしたら、
ああせめて、最後のひと花咲かせたい
と願うのは人情だろう。
春あけぼののカラハリ砂漠に始まって、
夏の北スペイン、
秋のニューイングランド、
そして冬には南インド。
今の内に踏破しておくのが賢明かもしれない。
アクセル全開で、思い切りのぜいたくをするぞ。
その前に、そのための時間を都合つけなければばらないのだが。
2009年7月2日木曜日
草食系
草食系男子が日本の未来を暗くするなどと言われる。
生殖の面で弱いということだろうが、世界を見渡してみると、
あることに気づかされる。
日本女性が西欧人にもてるのはなぜか。
私が見聞する限り、西欧人の中でも、穏やかで、とても男勝りの白人女性たちとは
やっていけそうにないタイプの男が、日本人とカップルになっている場合が多い。
日本女性は、西欧の草食系に愛されるのだ。
彼らは、日本女性の奥ゆかしさや優しさや心の広さ、
そして、それらから発するエロスをほめたたえる。
あれれ、わが大和撫子たちは、外人には別の顔を見せるのか・・
いや、彼女たちは別にカメレオンのように豹変してはいない。
そこには、ただ、文化に裏打ちされたメンタルな力学が働いている。
西欧草食系にとって、精神的に優位に立てることが、
彼らにとって最高の恵みとなっていると思われる。
ー言葉は片言でも、こちらに合わせてくれる。
ーこちらの依って立つ文化に憧れをもって接してくれる。
ー場合によっては生活まで見てくれる。
どんな社会でも、男女は同等の力を持つようになり、結果女は強くなる。
西欧社会はその先駆者で、女性の強さたるや半端ではない。
しからば、異なる社会のパートナーと睦み合う。
異国の女性は数倍優しく、エロく感じられるのだ。
日本男子にとって、優位に立てる女性はどの国にいるのであろうか。
ベトナムやタイなどインドシナ半島やアラビア一帯は可能性が高い。
少数だが欧米系にも可能性のある女性たちはいる。
国として戦略を立てるとしたら、
日本文化に憧れを抱く外国人女性をより多く入国させるための施策を考えた方がいい。
西欧へ留学または遊学する日本女性レベルの知性と開放性をもっていることを条件にして。
生殖の面で弱いということだろうが、世界を見渡してみると、
あることに気づかされる。
日本女性が西欧人にもてるのはなぜか。
私が見聞する限り、西欧人の中でも、穏やかで、とても男勝りの白人女性たちとは
やっていけそうにないタイプの男が、日本人とカップルになっている場合が多い。
日本女性は、西欧の草食系に愛されるのだ。
彼らは、日本女性の奥ゆかしさや優しさや心の広さ、
そして、それらから発するエロスをほめたたえる。
あれれ、わが大和撫子たちは、外人には別の顔を見せるのか・・
いや、彼女たちは別にカメレオンのように豹変してはいない。
そこには、ただ、文化に裏打ちされたメンタルな力学が働いている。
西欧草食系にとって、精神的に優位に立てることが、
彼らにとって最高の恵みとなっていると思われる。
ー言葉は片言でも、こちらに合わせてくれる。
ーこちらの依って立つ文化に憧れをもって接してくれる。
ー場合によっては生活まで見てくれる。
どんな社会でも、男女は同等の力を持つようになり、結果女は強くなる。
西欧社会はその先駆者で、女性の強さたるや半端ではない。
しからば、異なる社会のパートナーと睦み合う。
異国の女性は数倍優しく、エロく感じられるのだ。
日本男子にとって、優位に立てる女性はどの国にいるのであろうか。
ベトナムやタイなどインドシナ半島やアラビア一帯は可能性が高い。
少数だが欧米系にも可能性のある女性たちはいる。
国として戦略を立てるとしたら、
日本文化に憧れを抱く外国人女性をより多く入国させるための施策を考えた方がいい。
西欧へ留学または遊学する日本女性レベルの知性と開放性をもっていることを条件にして。
2009年6月15日月曜日
クリエーティブの力
地下鉄銀座線で、サントリー ザ・ヨーロピアンジャスミンティの車内吊り広告を見かけた。
淡い色調の、心惹かれるポスターだ。
右側にヨーロッパ系の少女が二人いて、一人がもう一人を両手で目隠ししている。
そこに、あ、その香りはジャスミンさん と、コピーが入っている。
左側は、白アクリルバックにグラス入りのジャスミンティが二つ置かれ、
脇に、商品ペットボトルがレイアウトされている。
構造は極めてシンプルだが、この新商品の世界観をよく伝えている。
商品カットだけでは、何だかわからないが、
右手のすぐれたクリエーティブによって
人々はすっと商品世界へ導かれるのだ。
古典的だが、実に見事だと思う。
で、その後私はどうしたかというと、オフィスでWEB検索をしてみた。
HPは、さほど感心した出来ではなく、興味の持続に成功していなかった。
グラフィックの世界が深まっていないのだ。
予算の配分もあって、WEBはこれでいい、という割り切りがクライアントにはあるのだろう。
それはそれで見識なのかもしれないが、凡庸なパンフレットにする必要はないと思う。
もちろん、だからといって、ポスターのクリエーティブの輝きが色あせることはない。
こんな感情に満たされたのは、久々のことだ。
淡い色調の、心惹かれるポスターだ。
右側にヨーロッパ系の少女が二人いて、一人がもう一人を両手で目隠ししている。
そこに、あ、その香りはジャスミンさん と、コピーが入っている。
左側は、白アクリルバックにグラス入りのジャスミンティが二つ置かれ、
脇に、商品ペットボトルがレイアウトされている。
構造は極めてシンプルだが、この新商品の世界観をよく伝えている。
商品カットだけでは、何だかわからないが、
右手のすぐれたクリエーティブによって
人々はすっと商品世界へ導かれるのだ。
古典的だが、実に見事だと思う。
で、その後私はどうしたかというと、オフィスでWEB検索をしてみた。
HPは、さほど感心した出来ではなく、興味の持続に成功していなかった。
グラフィックの世界が深まっていないのだ。
予算の配分もあって、WEBはこれでいい、という割り切りがクライアントにはあるのだろう。
それはそれで見識なのかもしれないが、凡庸なパンフレットにする必要はないと思う。
もちろん、だからといって、ポスターのクリエーティブの輝きが色あせることはない。
こんな感情に満たされたのは、久々のことだ。
2009年6月4日木曜日
日本の美
日本初の海外観光ツアーが、ちょうど100年前朝日新聞社主催で敢行された。
1909年のことだ。同行した記者の一人が次のようなことを書き残している。
「冬はローマですごし、春夏はロンドンで、秋には東京へ戻り、そうして最後はベニスで死にたい」
ヨーロッパは素晴らしかったのだろうが、年に1度は日本へ戻りたいという感覚はよくわかる。
海外にいると、日本における人とモノとの親密な関わり方が恋しくなるのだ。
食べものであれ、建てものであれ、飾りものであれ、何であれ、四季に恵まれた島で、あふれんばかりの海の幸、山の幸に囲まれ、私たちはバイオリンで言うと、ストラディバリウスのような深みと奥行きのある営みを奏でてきた。
世界でも稀な国だと思う。
もちろん、これは美しい面のみをコラージュした上での話で、現実は思うほどすっきりしてはいない。
なぜなら、私たちが誇れるのは、あくまでもセンスの次元でのことだからだ。
どの国の文化にも奥行と深みはあって、違いはどれくらい精緻かということにかかっている。
私たちは、線からはみ出るものを好まない。
この資質は、何ごとも整えようとする強い力となって私たちの社会を支配する。
日本の美しさ、良さは、秩序や平衡に通じるのだ。
地下鉄銀座線のホームで、乗車位置変更に伴う整列方法の変更のお願いという張り紙に苦笑しつつ 思ったことである。
1909年のことだ。同行した記者の一人が次のようなことを書き残している。
「冬はローマですごし、春夏はロンドンで、秋には東京へ戻り、そうして最後はベニスで死にたい」
ヨーロッパは素晴らしかったのだろうが、年に1度は日本へ戻りたいという感覚はよくわかる。
海外にいると、日本における人とモノとの親密な関わり方が恋しくなるのだ。
食べものであれ、建てものであれ、飾りものであれ、何であれ、四季に恵まれた島で、あふれんばかりの海の幸、山の幸に囲まれ、私たちはバイオリンで言うと、ストラディバリウスのような深みと奥行きのある営みを奏でてきた。
世界でも稀な国だと思う。
もちろん、これは美しい面のみをコラージュした上での話で、現実は思うほどすっきりしてはいない。
なぜなら、私たちが誇れるのは、あくまでもセンスの次元でのことだからだ。
どの国の文化にも奥行と深みはあって、違いはどれくらい精緻かということにかかっている。
私たちは、線からはみ出るものを好まない。
この資質は、何ごとも整えようとする強い力となって私たちの社会を支配する。
日本の美しさ、良さは、秩序や平衡に通じるのだ。
地下鉄銀座線のホームで、乗車位置変更に伴う整列方法の変更のお願いという張り紙に苦笑しつつ 思ったことである。
2009年5月26日火曜日
ゲリラの論理
世界を乱暴に「上」と「下」に分けてみる。
人類が連綿と練り上げてきた知や芸術や民主主義や文化全般、そして富。
それらは、おしなべて「上」にかたより、「下」には、貧困と低い民度・知識・技能が残される。
この対立はしばしば物語として、富めるものたちに親しまれ
シンデレラや小公女や、近くはミシェル・オバマなどまで。
テーマは下部構造から上部構造への飛躍であり、
であるからこそのハッピーエンドが用意されている。
生活に潤いをもたらす手法は、さまざま考案されてきたが、
みな「上」で消費される。
「下」は、たとえばギリシャの彫像を壊し、アフガンの仏像を破壊し
国際貿易センターへ旅客機ごと突っ込んだりする節度のなさを露呈してしまう。
だからこそ「上」は「下」の啓蒙を試みてきた。
エンターテインメントはそのための大きな役割を果たしてきた。
強者が弱者を食べるシーンが、動物ドキュメンタリーには必ず登場する。
私たちは格差を好むのだ。
ダイナミズムが生まれるからだし、ギャップの存在は気流の移動にも一役買っている。
もちろん、これは「上」かそれに準ずるポジションに属する者にとっての楽しみであり、 「下」にとっては残虐そのもののとんでもない話だ。
私たちが信じている世界の方向性とは正反対の世界、ひっくり返った社会、
そのイメージに私たちは恐怖する。
「下」の視点を持つのは極めて難しいので、私たちは恐怖におののくしかないのだ。
「下」が「下」の論理で、世界を構築する可能性はあるのだろうか。
全てをはく奪された人々が、荒々しくやって来るその日、
「上」が作り上げたITも、グローバリズムも、アートも金融もクオリティライフも意味をなさなくなる。
SFぽい妄想かもしれないが、何もかもが逆転してしまった世界を
私たちはまだ経験したことがない。
しかし、もしかしたら、それは可能性に満ちた世界なのかもしれず、
現在よりずっと安定した日々が営まれる場合だってあるのだ。
人類が連綿と練り上げてきた知や芸術や民主主義や文化全般、そして富。
それらは、おしなべて「上」にかたより、「下」には、貧困と低い民度・知識・技能が残される。
この対立はしばしば物語として、富めるものたちに親しまれ
シンデレラや小公女や、近くはミシェル・オバマなどまで。
テーマは下部構造から上部構造への飛躍であり、
であるからこそのハッピーエンドが用意されている。
生活に潤いをもたらす手法は、さまざま考案されてきたが、
みな「上」で消費される。
「下」は、たとえばギリシャの彫像を壊し、アフガンの仏像を破壊し
国際貿易センターへ旅客機ごと突っ込んだりする節度のなさを露呈してしまう。
だからこそ「上」は「下」の啓蒙を試みてきた。
エンターテインメントはそのための大きな役割を果たしてきた。
強者が弱者を食べるシーンが、動物ドキュメンタリーには必ず登場する。
私たちは格差を好むのだ。
ダイナミズムが生まれるからだし、ギャップの存在は気流の移動にも一役買っている。
もちろん、これは「上」かそれに準ずるポジションに属する者にとっての楽しみであり、 「下」にとっては残虐そのもののとんでもない話だ。
私たちが信じている世界の方向性とは正反対の世界、ひっくり返った社会、
そのイメージに私たちは恐怖する。
「下」の視点を持つのは極めて難しいので、私たちは恐怖におののくしかないのだ。
「下」が「下」の論理で、世界を構築する可能性はあるのだろうか。
全てをはく奪された人々が、荒々しくやって来るその日、
「上」が作り上げたITも、グローバリズムも、アートも金融もクオリティライフも意味をなさなくなる。
SFぽい妄想かもしれないが、何もかもが逆転してしまった世界を
私たちはまだ経験したことがない。
しかし、もしかしたら、それは可能性に満ちた世界なのかもしれず、
現在よりずっと安定した日々が営まれる場合だってあるのだ。
2009年5月19日火曜日
天地人と日本の将来
NHK大河「天地人」に上杉景勝が秀吉からの上洛の誘いを受けるシーンがある。
民のために上杉としての意地を通すことが、
本当に良いことなのかどうか考えて決断したと、
景勝は直江兼続に言う。
権力の座にあるものとして、優れた判断と言えるだろう。
このとき彼に決断させたのは、秀吉の武力もさることながら、
むしろ、天下統一に向けた構想力の差だったと思われる。
統一へ向けて着々と歩を進める秀吉は大方の大名の同意を取り付け、
国のインフラ整備まで始めつつあった。
大状況は動かないと景勝は判断せざるを得なかったのだ。
日本の敗戦は、権力者の意地で
最悪の状態寸前まで行き着いた果てのことだった。
我が国のアジア統一構想は、どの国にも支持されぬまま瓦解した。
以後、私たちはグローバルビジョン策定に注力しないまま、
経済発展一途に走ってきた。
しかし、世界2位の経済力を維持することはもうできない。
米中G2時代に入りつつある今、大構想については
彼らを中心に練り上げられていくことが確実だ。
だが、非核、新通貨体制、環境などの各分野で
世界の枠組み作りを支えるインフラ整備を日本は担うことができるだろう。
日本には、広島と長崎があり、憲法9条を持ち、
東京という効率的な金融市場が控えている。
自分たちのポジションを見極めて、確固とした立場を築くこと。
「天地人」は私たちにそういうことを教えてくれている。
民のために上杉としての意地を通すことが、
本当に良いことなのかどうか考えて決断したと、
景勝は直江兼続に言う。
権力の座にあるものとして、優れた判断と言えるだろう。
このとき彼に決断させたのは、秀吉の武力もさることながら、
むしろ、天下統一に向けた構想力の差だったと思われる。
統一へ向けて着々と歩を進める秀吉は大方の大名の同意を取り付け、
国のインフラ整備まで始めつつあった。
大状況は動かないと景勝は判断せざるを得なかったのだ。
日本の敗戦は、権力者の意地で
最悪の状態寸前まで行き着いた果てのことだった。
我が国のアジア統一構想は、どの国にも支持されぬまま瓦解した。
以後、私たちはグローバルビジョン策定に注力しないまま、
経済発展一途に走ってきた。
しかし、世界2位の経済力を維持することはもうできない。
米中G2時代に入りつつある今、大構想については
彼らを中心に練り上げられていくことが確実だ。
だが、非核、新通貨体制、環境などの各分野で
世界の枠組み作りを支えるインフラ整備を日本は担うことができるだろう。
日本には、広島と長崎があり、憲法9条を持ち、
東京という効率的な金融市場が控えている。
自分たちのポジションを見極めて、確固とした立場を築くこと。
「天地人」は私たちにそういうことを教えてくれている。
2009年5月12日火曜日
小沢代表・安西ひろこ、そして株価
民主党の小沢代表辞任のニュースは、
これがいいタイミングなのか、遅かりしなのか、評価が分かれている。
それにしても、資金疑惑というが、資金の流れはオープンになっているから、
本人にしてみれば、ほかに何か?ということだと思う。
メディアを巻き込んだ検察の勝利なのだ。
元々いいがかりに近いから、角栄のロッキード疑惑以来
検察憎しで凝り固まっている小沢氏は、絶対にすぐ辞めないと踏んでいたのだろう。
おかげで、民主党まで支持率をずいぶん下げた。
同じ夜、安西ひろこがTVに出ていた。
7年ぶりというが、変わらぬ魅力を振りまいていた。
しかし、彼女もこれから、どうタレントランクを上げていくか。
しんどいことと思う。
一度下がった評価を元に戻すためには、倍以上のパワーが要る。
株価を例にとってみよう。
2008年、中国株は65%の下落をみたという。
これを元に戻すためには、同じ65%アップでは、とてもおぼつかない。
実に2.85倍になる必要があるのだ。
人気も景気も、その回復の道は険しい。
これがいいタイミングなのか、遅かりしなのか、評価が分かれている。
それにしても、資金疑惑というが、資金の流れはオープンになっているから、
本人にしてみれば、ほかに何か?ということだと思う。
メディアを巻き込んだ検察の勝利なのだ。
元々いいがかりに近いから、角栄のロッキード疑惑以来
検察憎しで凝り固まっている小沢氏は、絶対にすぐ辞めないと踏んでいたのだろう。
おかげで、民主党まで支持率をずいぶん下げた。
同じ夜、安西ひろこがTVに出ていた。
7年ぶりというが、変わらぬ魅力を振りまいていた。
しかし、彼女もこれから、どうタレントランクを上げていくか。
しんどいことと思う。
一度下がった評価を元に戻すためには、倍以上のパワーが要る。
株価を例にとってみよう。
2008年、中国株は65%の下落をみたという。
これを元に戻すためには、同じ65%アップでは、とてもおぼつかない。
実に2.85倍になる必要があるのだ。
人気も景気も、その回復の道は険しい。
2009年5月11日月曜日
長野における動的平衡
長い道のりの果てに善光寺はあって、
朝の7時を過ぎには、周囲の道が渋滞するほど、
7年に1度のご開帳のご利益にあずかるため 善男善女が列をなしていた。
私は車列の逆を走り、山を上って高原へ向かった。
はるかに黒姫山を望める高原の一隅に、 ひっそりと咲く水芭蕉を見るためだった。
すがすがしい空気と光に包まれながら、 湿地に渡された板の道を歩く。
二輪草の群生が美しい。
肝心の水芭蕉は、成長しすぎた葉が大きく広がり、
中央に野太いおしべが屹立する。
植物の淫らともいえる姿態に度肝を抜かれるが、
昨今のミツバチの不在による子孫作りへの不安故なのかもしれぬ。
高原はほどよい静けさで、評判の蕎麦屋をのぞきたかったのだが、
時間が早すぎてかなわぬまま、山を下りた。
善光寺の西に川が流れていて、川べりに温泉が湧いている。
ここにもしんとした朝の静寂があり、 足湯を楽しむ人々が数人いた。
傍らの日本家屋へは、昨夜信州牛を食べに来たのだった。
牛は直営の牧場でリンゴを食べて育てられ、
と殺されて皿の上に美しく並び、私の口の中であっという間にとろけた。
寺と牛肉と水芭蕉と湯治場が、 ひとつながりになって並んでいるのが長野の町だ。
すべてがスピードを変えて動いている。
これを動的平衡というのかどうかはわからない。
だが、この町の安定感が私を健康的にしてくれたことは確かだった。
朝の7時を過ぎには、周囲の道が渋滞するほど、
7年に1度のご開帳のご利益にあずかるため 善男善女が列をなしていた。
私は車列の逆を走り、山を上って高原へ向かった。
はるかに黒姫山を望める高原の一隅に、 ひっそりと咲く水芭蕉を見るためだった。
すがすがしい空気と光に包まれながら、 湿地に渡された板の道を歩く。
二輪草の群生が美しい。
肝心の水芭蕉は、成長しすぎた葉が大きく広がり、
中央に野太いおしべが屹立する。
植物の淫らともいえる姿態に度肝を抜かれるが、
昨今のミツバチの不在による子孫作りへの不安故なのかもしれぬ。
高原はほどよい静けさで、評判の蕎麦屋をのぞきたかったのだが、
時間が早すぎてかなわぬまま、山を下りた。
善光寺の西に川が流れていて、川べりに温泉が湧いている。
ここにもしんとした朝の静寂があり、 足湯を楽しむ人々が数人いた。
傍らの日本家屋へは、昨夜信州牛を食べに来たのだった。
牛は直営の牧場でリンゴを食べて育てられ、
と殺されて皿の上に美しく並び、私の口の中であっという間にとろけた。
寺と牛肉と水芭蕉と湯治場が、 ひとつながりになって並んでいるのが長野の町だ。
すべてがスピードを変えて動いている。
これを動的平衡というのかどうかはわからない。
だが、この町の安定感が私を健康的にしてくれたことは確かだった。
2009年5月3日日曜日
レッドチャーチ通りのキヨシロー
東ロンドンのレッドチャーチストリートへよく通った。
ファッションデザイナーのKEIがスタジオを持っているからだった。
近所には、家具デザイナーやグラフィックデザイナー、写真家、インテリアデザイナーなど驚くほど多くのクリエーターが暮らしていて、夜、KEIの家にいると、ふらっと彼らが現れ、とりとめのない話をしては帰っていったものだ。
ある夜、グラフィックデザイナーのアンジェラが新恋人のマーガレットを連れて来て、そこにジョナサンが加わった。ジョナサンはユーロスターのロゴを作った男だ。 誰がすごいミュージシャンかという話になった。
それぞれ、レノンやらボーイジョージやらストーンズやらの名を挙げるなか、KEIが、最も偉大なシンガーとして忌野清志朗の名を挙げた。
日本人のガールフレンドがいるジョナサンも知っていて、キヨシローすごいよと、日本語で叫んだ。
しかし、アンジェラたちが聞いたこともないなどと言うので、KEIと私とジョナサンで歌ってみせることになった。
どうしたんだ、ヘイ、ヘイ、ベイビー!
私たちはずいぶんビールを飲んでいたので、わめくように歌いつづけ、その歌声を聞いて、さらに4-5人のご近所衆が集まった。
いつものようにきめて、ぶっ飛ばそうぜ!
サビの部分のシンプルさが親しみやすかったのだろう、いつしか全員が歌いはじめた。
こんな夜に発射できないなんて!
意味を教えると、口々にSHAME!と叫んで、彼らは笑った。
その夜以来、「雨上がりの夜空に」のサビは、レッドチャーチ界隈でしばしば口ずさまれるようになった。
ベトナム料理店や中華料理店、持ち帰り専門のフィッシュ&チップスの店、シティのビル群が眺められるバーなどで。
雨の多いロンドンの町によく似合う曲だったと思う。
私は一時帰国した折、清志朗のビデオを持ち帰って、彼らに本物の姿を伝えた。 キヨシローの人気はさらに高まった。
ほどなくロンドンはバブルの波にのまれ、レッドチャーチ通りのクリエーターたちは散り散りになっていった。
彼らのその後は、成功した者、波に乗れなかった者など、さまざまだ。
あれから10年が経つ。
彼らは今でもキヨシローを覚えているだろうか。
どうしたんだ、ヘイ、ヘイ、ベイビー!
今宵、雨上がりのレッドチャーチストリートのことが懐かしく思い出されてならない。
ファッションデザイナーのKEIがスタジオを持っているからだった。
近所には、家具デザイナーやグラフィックデザイナー、写真家、インテリアデザイナーなど驚くほど多くのクリエーターが暮らしていて、夜、KEIの家にいると、ふらっと彼らが現れ、とりとめのない話をしては帰っていったものだ。
ある夜、グラフィックデザイナーのアンジェラが新恋人のマーガレットを連れて来て、そこにジョナサンが加わった。ジョナサンはユーロスターのロゴを作った男だ。 誰がすごいミュージシャンかという話になった。
それぞれ、レノンやらボーイジョージやらストーンズやらの名を挙げるなか、KEIが、最も偉大なシンガーとして忌野清志朗の名を挙げた。
日本人のガールフレンドがいるジョナサンも知っていて、キヨシローすごいよと、日本語で叫んだ。
しかし、アンジェラたちが聞いたこともないなどと言うので、KEIと私とジョナサンで歌ってみせることになった。
どうしたんだ、ヘイ、ヘイ、ベイビー!
私たちはずいぶんビールを飲んでいたので、わめくように歌いつづけ、その歌声を聞いて、さらに4-5人のご近所衆が集まった。
いつものようにきめて、ぶっ飛ばそうぜ!
サビの部分のシンプルさが親しみやすかったのだろう、いつしか全員が歌いはじめた。
こんな夜に発射できないなんて!
意味を教えると、口々にSHAME!と叫んで、彼らは笑った。
その夜以来、「雨上がりの夜空に」のサビは、レッドチャーチ界隈でしばしば口ずさまれるようになった。
ベトナム料理店や中華料理店、持ち帰り専門のフィッシュ&チップスの店、シティのビル群が眺められるバーなどで。
雨の多いロンドンの町によく似合う曲だったと思う。
私は一時帰国した折、清志朗のビデオを持ち帰って、彼らに本物の姿を伝えた。 キヨシローの人気はさらに高まった。
ほどなくロンドンはバブルの波にのまれ、レッドチャーチ通りのクリエーターたちは散り散りになっていった。
彼らのその後は、成功した者、波に乗れなかった者など、さまざまだ。
あれから10年が経つ。
彼らは今でもキヨシローを覚えているだろうか。
どうしたんだ、ヘイ、ヘイ、ベイビー!
今宵、雨上がりのレッドチャーチストリートのことが懐かしく思い出されてならない。
2009年4月24日金曜日
国のデザイン
イギリスが金融で食べる国というイメージを確立したのはそんなに昔のことではない。
95年に私が渡英した頃、ロンドンはまだ中心地のあちこちが空きオフィス・空き店舗だらけだった。
それが、あれよあれよという間に再生し、2000年には高層ビルの建設ラッシュが始まっていた。
潤った財布でブラウン首相は、イギリスが環境分野での新たな産業革命の先陣を切ると いち早くぶち上げたものだ。
オバマ氏より3年前のことだった。
イギリスからは、90年代に世界的なファッションデザイナーやCGクリエーター、料理人が輩出され、 オリンピックの金メダル数も日本をはるかに凌駕するようになった。
2008年の全世界アルバム販売枚数も、1位から5位までをイギリス勢が独占している。
(コールドプレイ660万枚、エイミーワインハウス510万枚、AC/DC500万枚、ダフィ450万枚、レオナルイス430万枚)
英語はもとより、アート、音楽、ガーデニングを学びに世界中から人が集まり、
政治と外交の洗練もまた、世界に冠たるものがある。
とはいえ、イギリスはいわゆる徹底した効率主義の国ではない。
社会にはすこぶる緩やかな時間が流れている。
国中に点在する広大な緑地帯で暮らすアナグマと同じ時の流れを共有しているようなところがあって 人々は、時に怠惰かと見まごうほどに悠然としている。
かの国は、社会全体が横軸からも縦軸からもわかりやすく色分けされていて
各分野をサポートする体制がはっきり見て取れるのだ。
イギリスが国として巧みにデザインされていると感じるのは私だけではないだろう。
ひるがえって日本は、あまりに諸々雑多な樹が立っていて、
根は絡み合い、葉は茂りに茂り、 エネルギーはあるのだが、いかにもわかりにくい。
問題は山積みである。
お国も近頃は何とか色付けしなくてはと思い始めたらしく、
ジャパンブランドなどと標榜するが、 自らをブランドと銘打って発信するというのもどうか。
気恥ずかしいかぎりではないか。
95年に私が渡英した頃、ロンドンはまだ中心地のあちこちが空きオフィス・空き店舗だらけだった。
それが、あれよあれよという間に再生し、2000年には高層ビルの建設ラッシュが始まっていた。
潤った財布でブラウン首相は、イギリスが環境分野での新たな産業革命の先陣を切ると いち早くぶち上げたものだ。
オバマ氏より3年前のことだった。
イギリスからは、90年代に世界的なファッションデザイナーやCGクリエーター、料理人が輩出され、 オリンピックの金メダル数も日本をはるかに凌駕するようになった。
2008年の全世界アルバム販売枚数も、1位から5位までをイギリス勢が独占している。
(コールドプレイ660万枚、エイミーワインハウス510万枚、AC/DC500万枚、ダフィ450万枚、レオナルイス430万枚)
英語はもとより、アート、音楽、ガーデニングを学びに世界中から人が集まり、
政治と外交の洗練もまた、世界に冠たるものがある。
とはいえ、イギリスはいわゆる徹底した効率主義の国ではない。
社会にはすこぶる緩やかな時間が流れている。
国中に点在する広大な緑地帯で暮らすアナグマと同じ時の流れを共有しているようなところがあって 人々は、時に怠惰かと見まごうほどに悠然としている。
かの国は、社会全体が横軸からも縦軸からもわかりやすく色分けされていて
各分野をサポートする体制がはっきり見て取れるのだ。
イギリスが国として巧みにデザインされていると感じるのは私だけではないだろう。
ひるがえって日本は、あまりに諸々雑多な樹が立っていて、
根は絡み合い、葉は茂りに茂り、 エネルギーはあるのだが、いかにもわかりにくい。
問題は山積みである。
お国も近頃は何とか色付けしなくてはと思い始めたらしく、
ジャパンブランドなどと標榜するが、 自らをブランドと銘打って発信するというのもどうか。
気恥ずかしいかぎりではないか。
2009年4月20日月曜日
よき時代の終焉
昔の仕事仲間の一人に気のいいイタリア人がいて、モンテカルロに家とクルーザーを持つ羽振りの良さだったが、ある年脱税でやられた。
ケイマン島やルーマニア、ポーランドなどおよそ不可解な複数口座を所有し、私も何度か振り込むことがあったので、ああ、やっぱりという印象だった。
その彼が1年半後出獄して、コスタリカへ移住できたのは、
当時のイタリア警察の捜査の手が同国までは伸びなかったからに他ならない。
G20で、透明性に問題のあるタックスヘイブンとして初めて挙げられた4地域に、コスタリカが入っていて彼のことを思い出した。
移住直後、何度か連絡があり、遊びに来ないかと誘われた。
電話の向こうから、いつもトロピカルな音楽と笑い声が聞こえていたことを覚えている。
全世界の動植物種の5パーセントが棲息するコスタリカは、四国と九州を合わせたほどの面積の国らしい。彼の静かな生活は羨ましいかぎりだ。
ヨーロッパでのビジネスでは、ルガノ、モナコ、ケイマン、ジャージーは馴染みの深い名前だった。
取引相手の何人かは、フィリピンやウルグアイにセカンドハウスを構えていた。
どこも今回指摘された地域になっている。
しかし、彼らにとって、よき時代は終焉を迎えようとしている。
世界中でこれだけ多額の税金が投入されている以上、
税を逃れる彼らの生き方を世界は許さないだろう。
イタリア人は、さらなる旅に出るのだろうか。
ケイマン島やルーマニア、ポーランドなどおよそ不可解な複数口座を所有し、私も何度か振り込むことがあったので、ああ、やっぱりという印象だった。
その彼が1年半後出獄して、コスタリカへ移住できたのは、
当時のイタリア警察の捜査の手が同国までは伸びなかったからに他ならない。
G20で、透明性に問題のあるタックスヘイブンとして初めて挙げられた4地域に、コスタリカが入っていて彼のことを思い出した。
移住直後、何度か連絡があり、遊びに来ないかと誘われた。
電話の向こうから、いつもトロピカルな音楽と笑い声が聞こえていたことを覚えている。
全世界の動植物種の5パーセントが棲息するコスタリカは、四国と九州を合わせたほどの面積の国らしい。彼の静かな生活は羨ましいかぎりだ。
ヨーロッパでのビジネスでは、ルガノ、モナコ、ケイマン、ジャージーは馴染みの深い名前だった。
取引相手の何人かは、フィリピンやウルグアイにセカンドハウスを構えていた。
どこも今回指摘された地域になっている。
しかし、彼らにとって、よき時代は終焉を迎えようとしている。
世界中でこれだけ多額の税金が投入されている以上、
税を逃れる彼らの生き方を世界は許さないだろう。
イタリア人は、さらなる旅に出るのだろうか。
2009年4月15日水曜日
サプリとしての教養
教養の衰退が叫ばれて久しい。
だが、古典的知のたしなみだった教養を必要とする議論は深まらない。
むしろ、そんなもの役に立たないという考えが主流を占めているようだ。
昨今のビジネスミーティングでは、ベートーベンやプルーストやサルトルが話題に上ることなどなく
むしろ、地球環境問題への造詣の深さが問われるという。
あるいは、ダルフールやジンバブエ問題についての見識のあるなしが問題なのだと。
要するに、役に立つかどうか。
ITとファイナンスと英語力に上記の問題意識をプラスして、世界に伍していこう。
というのが、どうやら日本の知的エリートの平均的意見らしい。
グローバライゼーションとは、人間の価値を徹底して有用価値に換えていく。
教養の生き残る道も、どうやらサプリメントとして仕分けされてしかないらしい。
ここで、疑ってみる。
役に立つかどうかの価値観は、明治の富国強兵のときのそれと似通っていないか。
国のため、社会のため、会社のためには、我慢するという美徳。
そこには、まず人が安穏に暮すことを最上の価値とするコモンセンスはない。
安穏に暮すのは、負け犬か無役の者の宿命にすぎないからだ。
筆者は高等遊民を志して生きてきたのだが、遊民などという言葉自体、風前の灯のようである。
だが、古典的知のたしなみだった教養を必要とする議論は深まらない。
むしろ、そんなもの役に立たないという考えが主流を占めているようだ。
昨今のビジネスミーティングでは、ベートーベンやプルーストやサルトルが話題に上ることなどなく
むしろ、地球環境問題への造詣の深さが問われるという。
あるいは、ダルフールやジンバブエ問題についての見識のあるなしが問題なのだと。
要するに、役に立つかどうか。
ITとファイナンスと英語力に上記の問題意識をプラスして、世界に伍していこう。
というのが、どうやら日本の知的エリートの平均的意見らしい。
グローバライゼーションとは、人間の価値を徹底して有用価値に換えていく。
教養の生き残る道も、どうやらサプリメントとして仕分けされてしかないらしい。
ここで、疑ってみる。
役に立つかどうかの価値観は、明治の富国強兵のときのそれと似通っていないか。
国のため、社会のため、会社のためには、我慢するという美徳。
そこには、まず人が安穏に暮すことを最上の価値とするコモンセンスはない。
安穏に暮すのは、負け犬か無役の者の宿命にすぎないからだ。
筆者は高等遊民を志して生きてきたのだが、遊民などという言葉自体、風前の灯のようである。
2009年4月7日火曜日
集団知ビジネス
集団知はIT社会を語るとき、しばしば俎上に挙げられるテーマで
代表例として,ウィキペディアとリナックスがある。
グーグルもそう言えるだろう。
P&Gも商品開発では、すでに同じスタイルをとっていると聞く。
大前研一氏によると、集団知経営という概念が今後現実化していくことになるらしい。
1人の代表者が、こうしますと宣言し、会社の経営方針を決めるのではなく
社内外の知恵を集積して会社を方向づけていくというのだ。
アメリカに、CSA(Community Support Agriculture)という手法がある。
農場に消費者が出資し、栽培経費を分担することで収穫物を独占的に入手できるというもので
有機野菜などの分野で活況を呈しているという。www.twosmallfarms.com/
この手法によって、農家は農業を事業として安定させることができ、
ユーザーのニーズも把握することが容易になる。
これらは、従来の合議制やコープとは異なる新しいビジネスモデルとして、
今後いっそうの洗練が必要だろうが、確実にビジネスの大きな潮流になっていくと思われる。
ただ、今のところは、経営体としては緩いモノであるのは否めず、
激しい市場競争を勝ち抜いていけるのかどうかが、問われてもいる。
代表例として,ウィキペディアとリナックスがある。
グーグルもそう言えるだろう。
P&Gも商品開発では、すでに同じスタイルをとっていると聞く。
大前研一氏によると、集団知経営という概念が今後現実化していくことになるらしい。
1人の代表者が、こうしますと宣言し、会社の経営方針を決めるのではなく
社内外の知恵を集積して会社を方向づけていくというのだ。
アメリカに、CSA(Community Support Agriculture)という手法がある。
農場に消費者が出資し、栽培経費を分担することで収穫物を独占的に入手できるというもので
有機野菜などの分野で活況を呈しているという。www.twosmallfarms.com/
この手法によって、農家は農業を事業として安定させることができ、
ユーザーのニーズも把握することが容易になる。
これらは、従来の合議制やコープとは異なる新しいビジネスモデルとして、
今後いっそうの洗練が必要だろうが、確実にビジネスの大きな潮流になっていくと思われる。
ただ、今のところは、経営体としては緩いモノであるのは否めず、
激しい市場競争を勝ち抜いていけるのかどうかが、問われてもいる。
2009年3月26日木曜日
マルチチュード
マルチチュードという言葉がある。
ラテン語で民衆の意味だが、
最近は、多国籍企業に対する、人々の国境を越えた連帯を示すものとして
使われることが多い。
企業による独占に対し、「共有」を謳う。
林望氏と茂木健一郎氏の対談に、
源氏物語は紫式部一人の手によって書かれたものではないらしい
というようなことが語られている。
何世紀にもわたって、多くの人の手が加わり、現在残っているものとなったというのだ。
平家物語しかり、枕草子しかり。
ここには、オリジナリティとは何ぞやという疑問が提示されている。
昨今の過剰ともいえる著作権擁護の風潮に一石を投じているのだ。
卑近な例で言うと、「おふくろさん」騒動が挙げられる。
原詩に歌い手が文言を付けたして歌ったのを、けしからんとして、作詞が歌い手に歌うのをやめさせた一件。
これなども、長い時間の中で、人々がその歌い手の付加した方を好むようになれば
そちらが残っていく、で良いのかもしれない。
WEB上で、さまざまな商業映像が加工されている現実も
受け入れていってはどうだろうかと、ふと思う。
加工されたものをも新たなオリジナルとして、捉えることはできないだろうか。
それが許容できないものならば、きっと淘汰されていくだろうから。
ラテン語で民衆の意味だが、
最近は、多国籍企業に対する、人々の国境を越えた連帯を示すものとして
使われることが多い。
企業による独占に対し、「共有」を謳う。
林望氏と茂木健一郎氏の対談に、
源氏物語は紫式部一人の手によって書かれたものではないらしい
というようなことが語られている。
何世紀にもわたって、多くの人の手が加わり、現在残っているものとなったというのだ。
平家物語しかり、枕草子しかり。
ここには、オリジナリティとは何ぞやという疑問が提示されている。
昨今の過剰ともいえる著作権擁護の風潮に一石を投じているのだ。
卑近な例で言うと、「おふくろさん」騒動が挙げられる。
原詩に歌い手が文言を付けたして歌ったのを、けしからんとして、作詞が歌い手に歌うのをやめさせた一件。
これなども、長い時間の中で、人々がその歌い手の付加した方を好むようになれば
そちらが残っていく、で良いのかもしれない。
WEB上で、さまざまな商業映像が加工されている現実も
受け入れていってはどうだろうかと、ふと思う。
加工されたものをも新たなオリジナルとして、捉えることはできないだろうか。
それが許容できないものならば、きっと淘汰されていくだろうから。
2009年3月19日木曜日
イノベーション
「諸君!」の廃刊を伝える記事を朝刊紙面の片隅に見つけた。
「月刊現代」はすでに休刊している。
大論総論の時代がやっと終わりを告げるらしい。
国を語る、政治を語る。
これは、おそらく幕末の志士たちから明治大正昭和へつづく軍拡主義を支え、
戦後は、自身の変わり身の早さへの後ろめたさを覆い隠すべく、国が論じられてきた。
考えてみれば,60年70年安保騒ぎもその流れに乗っていたわけで。
私は、長くイギリスに暮らし、かの地においては各論のみが尊ばれ、
大言壮語する輩がマスメディアを跋扈するなど、あり得ないことだったと、記憶する。
何かのために!や、何かいいこと言おう!なんていうさもしさは要らない。
感動させよう、の手管も不要だ。
お説教も御免こうむる。
私たちが自身の思考を古色蒼然とした大思想の軛から解放し、
生きる基本を、エンジョイすることに置くことこそ
真の個の自立を促すと、思う。
今日もフランスでは大規模なストライキが行われているが、
彼らの行動の原動力は、生を楽しむ権利の主張に他ならない。
中田ヤスタカの軽妙な詞を読んでいると、
時代を組みかえるイノベーションが、人々の意識レベルでも行われ始めるているのを感じる。
「月刊現代」はすでに休刊している。
大論総論の時代がやっと終わりを告げるらしい。
国を語る、政治を語る。
これは、おそらく幕末の志士たちから明治大正昭和へつづく軍拡主義を支え、
戦後は、自身の変わり身の早さへの後ろめたさを覆い隠すべく、国が論じられてきた。
考えてみれば,60年70年安保騒ぎもその流れに乗っていたわけで。
私は、長くイギリスに暮らし、かの地においては各論のみが尊ばれ、
大言壮語する輩がマスメディアを跋扈するなど、あり得ないことだったと、記憶する。
何かのために!や、何かいいこと言おう!なんていうさもしさは要らない。
感動させよう、の手管も不要だ。
お説教も御免こうむる。
私たちが自身の思考を古色蒼然とした大思想の軛から解放し、
生きる基本を、エンジョイすることに置くことこそ
真の個の自立を促すと、思う。
今日もフランスでは大規模なストライキが行われているが、
彼らの行動の原動力は、生を楽しむ権利の主張に他ならない。
中田ヤスタカの軽妙な詞を読んでいると、
時代を組みかえるイノベーションが、人々の意識レベルでも行われ始めるているのを感じる。
2009年3月10日火曜日
ユニクロと神社
昨年の春ロンドンで、ユニクロの3店舗を見て廻った。
店はどこも光り輝いていて、清潔できちんとしていたが、何かが欠けている気がした。
もちろん、客足がいまひとつということもあったのだが、
TOP SHOPをはじめとするアングロサクソン系の他店に溢れている熱気とは異なる、 家電売り場にいるような、というかむしろ、厳かとさえ言える不思議な感覚に満たされたのだった。
オックスフォードストリートを外れて大英博物館へ入ったとき、
私はそれが神社の感覚であることに思い至った。
ユニクロ=神社。
デザイン性を排した服のパーツが美しく並べられたレイアウトは世界共通のものだ。
そこに、猥雑や狂乱の入り込む余地はなく、
美は秩序立っていて、余白さえも計算されたものとなっている。
中心にあるのは合理であり、整頓。
これを心地よいと感じるかどうかは人によるだろうが、
面白味はない。
この完璧さへの傾倒は、クルマや家電品をはじめとするすべての日本の大量生産品に共通する。
日本車には色気がないと言われ半世紀が経つが、未だに状況は変わらず、
今や、色気のない服を作り売る会社が最強となっている。
テクノロジーが最強を支えている。
そして神社。
神社には思想がなく、20世紀にはやすやすと国家と一体化した。
21世紀、神社はグローバル企業と一体化するのだろうか
トヨタ・ユニクロ・パナソニック・・・
戦後市場主義の優等生企業が押し広げる地平を日本の誇りにしていいのかどうか。
活況を呈しているユニクロで、意外なほど質感の良いTシャツを手にしながら、天を仰ぐ。
店はどこも光り輝いていて、清潔できちんとしていたが、何かが欠けている気がした。
もちろん、客足がいまひとつということもあったのだが、
TOP SHOPをはじめとするアングロサクソン系の他店に溢れている熱気とは異なる、 家電売り場にいるような、というかむしろ、厳かとさえ言える不思議な感覚に満たされたのだった。
オックスフォードストリートを外れて大英博物館へ入ったとき、
私はそれが神社の感覚であることに思い至った。
ユニクロ=神社。
デザイン性を排した服のパーツが美しく並べられたレイアウトは世界共通のものだ。
そこに、猥雑や狂乱の入り込む余地はなく、
美は秩序立っていて、余白さえも計算されたものとなっている。
中心にあるのは合理であり、整頓。
これを心地よいと感じるかどうかは人によるだろうが、
面白味はない。
この完璧さへの傾倒は、クルマや家電品をはじめとするすべての日本の大量生産品に共通する。
日本車には色気がないと言われ半世紀が経つが、未だに状況は変わらず、
今や、色気のない服を作り売る会社が最強となっている。
テクノロジーが最強を支えている。
そして神社。
神社には思想がなく、20世紀にはやすやすと国家と一体化した。
21世紀、神社はグローバル企業と一体化するのだろうか
トヨタ・ユニクロ・パナソニック・・・
戦後市場主義の優等生企業が押し広げる地平を日本の誇りにしていいのかどうか。
活況を呈しているユニクロで、意外なほど質感の良いTシャツを手にしながら、天を仰ぐ。
2009年2月26日木曜日
日本の美
雨の日国立新美術館の加山又造展を訪れた。
http://www.kayamaten.jp/midokoro/chapter2.html
入り口近くに並べられた大作にまず、圧倒される。
奥へ進むほどに、眩暈に見舞われる。
不思議なことに、どの大作も実在の感覚がなく、
そこにモノが描かれていても、それは何かの反映にすぎないように思われる。
なにやら曖昧模糊とした言葉で表すしかないのだが、
作品がきれいであることは、言うを待たない。
きれいであるためには、とにかく完結する必要があるようで、
強引に描き上げてしまっている点、なきにしもあらずの感は、
五木寛之氏がNHK日曜美術館で語っていたように、加山の軽さに通じるのかもしれない。
氏は、その因って来たる所を無常観と語っていた。
それにしても、美しく整えようとする作者の強い意志が私たちを感動させ、
作品を前にした観客は深い溜息をつく。「すばらしい」
一方、私は、乱雑で無秩序な世界をまとめあげようとする作家の達成度合いを測るのだが、
もっと突き詰められる、その先へ、さらに奥へ行けるのではないかという疑問を払拭することができない。
華やかでありながら、整えられた美しい神社の、ある種もの足りなさに通底する
大いなる「日本の美」がそこにある。
http://www.kayamaten.jp/midokoro/chapter2.html
入り口近くに並べられた大作にまず、圧倒される。
奥へ進むほどに、眩暈に見舞われる。
不思議なことに、どの大作も実在の感覚がなく、
そこにモノが描かれていても、それは何かの反映にすぎないように思われる。
なにやら曖昧模糊とした言葉で表すしかないのだが、
作品がきれいであることは、言うを待たない。
きれいであるためには、とにかく完結する必要があるようで、
強引に描き上げてしまっている点、なきにしもあらずの感は、
五木寛之氏がNHK日曜美術館で語っていたように、加山の軽さに通じるのかもしれない。
氏は、その因って来たる所を無常観と語っていた。
それにしても、美しく整えようとする作者の強い意志が私たちを感動させ、
作品を前にした観客は深い溜息をつく。「すばらしい」
一方、私は、乱雑で無秩序な世界をまとめあげようとする作家の達成度合いを測るのだが、
もっと突き詰められる、その先へ、さらに奥へ行けるのではないかという疑問を払拭することができない。
華やかでありながら、整えられた美しい神社の、ある種もの足りなさに通底する
大いなる「日本の美」がそこにある。
2009年2月20日金曜日
広告価値
業界通の知人によると、朝日新聞の実売部数は560万、読売のそれは750万だという。
押し紙問題が表面化するにつれ、媒体価値の下がりつづけている新聞だが、
その取材・調査・分析・編集能力は、一朝一夕には手に入らないものだ。
私たちはブログを中心とする多様なニュースと情報分析の手段を持つようになった。
新聞で得られる深い情報は極めて限定的なものだし、
新聞媒体の持つ「大衆へ知的プライオリティを与える力=ブランド力」に
昔日の面影はない。
ネットを通して、あふれるほどの知的満足感を得られる時代なのだ。
しかし、通信社の配信だけでは知りえない世界・社会構造というものがある。
ブロガーと呼ばれている人たちがどうしたって掴みきれないものがある。
取材そして調査検証。
世界を、現場を突き抜けること。
リアル・現場主義。
新聞記者の価値は依然として取材力にあるのだ。
日本新聞協会によると、総収入に占める広告費の割合は30%、
人件費比率は22%で、
この数字は、ネット無料配信の可能性を探る一助となるのではないか。
用紙代も印刷費もゼロになるのだから、経費をどうするかは残るにしろ
広告だけで食べることも、あながち不可能とは言えない。
情報の価値は、広告価値のことだ。
その価値はこの先、メディアによって
エルメスとユニクロほどの価格差となって現われてくるような気がする。
広告不況に突入と言われるが、
1997年度と2007年度を比較すると、
GDPは同じでありながら
総広告費は17%も伸びている事実も付け加えておきたい。
押し紙問題が表面化するにつれ、媒体価値の下がりつづけている新聞だが、
その取材・調査・分析・編集能力は、一朝一夕には手に入らないものだ。
私たちはブログを中心とする多様なニュースと情報分析の手段を持つようになった。
新聞で得られる深い情報は極めて限定的なものだし、
新聞媒体の持つ「大衆へ知的プライオリティを与える力=ブランド力」に
昔日の面影はない。
ネットを通して、あふれるほどの知的満足感を得られる時代なのだ。
しかし、通信社の配信だけでは知りえない世界・社会構造というものがある。
ブロガーと呼ばれている人たちがどうしたって掴みきれないものがある。
取材そして調査検証。
世界を、現場を突き抜けること。
リアル・現場主義。
新聞記者の価値は依然として取材力にあるのだ。
日本新聞協会によると、総収入に占める広告費の割合は30%、
人件費比率は22%で、
この数字は、ネット無料配信の可能性を探る一助となるのではないか。
用紙代も印刷費もゼロになるのだから、経費をどうするかは残るにしろ
広告だけで食べることも、あながち不可能とは言えない。
情報の価値は、広告価値のことだ。
その価値はこの先、メディアによって
エルメスとユニクロほどの価格差となって現われてくるような気がする。
広告不況に突入と言われるが、
1997年度と2007年度を比較すると、
GDPは同じでありながら
総広告費は17%も伸びている事実も付け加えておきたい。
2009年2月13日金曜日
宮沢りえの結婚
バレンタインの前日だというのに、宮沢りえが妊娠6か月で結婚のニュースだ。
できちゃった婚というわけだが、これは様々に言い換えられてもいる。
おめでた婚、あるいは中出し婚(ああ、想像したくない)などなど。
言い換えは、日本のお家芸、もはや文化といえる。
たとえば、公的資金投入。
これは、税金投入の言い換えだ。
英語で、public fund などとは言わない。
taxpayers' money とはっきり表現される。
役人による官費の私的流用は、横領の言い換えだし、
自衛隊派遣は、派兵の言い換え
太平洋戦争時、大本営は、南方戦線からの敗走を、転進と言い換えた。
マスコミもこの種の言い換えに異議を唱えない。
まさしく、日本文化。
この世に生きとし生けるものは、皆時空とともに変化する。
諸行無常。
麻生首相の言動がころころ変わるのも、文化だと思いいたる。
できちゃった婚というわけだが、これは様々に言い換えられてもいる。
おめでた婚、あるいは中出し婚(ああ、想像したくない)などなど。
言い換えは、日本のお家芸、もはや文化といえる。
たとえば、公的資金投入。
これは、税金投入の言い換えだ。
英語で、public fund などとは言わない。
taxpayers' money とはっきり表現される。
役人による官費の私的流用は、横領の言い換えだし、
自衛隊派遣は、派兵の言い換え
太平洋戦争時、大本営は、南方戦線からの敗走を、転進と言い換えた。
マスコミもこの種の言い換えに異議を唱えない。
まさしく、日本文化。
この世に生きとし生けるものは、皆時空とともに変化する。
諸行無常。
麻生首相の言動がころころ変わるのも、文化だと思いいたる。
2009年2月6日金曜日
モノの力
味の素のクノールスープのCMを見ていて思った。
「おいしさの秘密は、1年で2週間しかない、いちばんおいしい時期に収穫して、甘さのピークでパウダーに」
http://www.ajinomoto.co.jp/cm/tvcm/cm001008CS30_high.html
てことは、いちばんおいしいトウモロコシを買い占めて工場で粉末にしてしまうってこと。
これを、ひどいと感じる人間もかなりいるのではないか。
少なくとも私は、いちばんおいしい時期のものは、自然のまま食したい。
化学的に加工して、均一な味の製品になどしないでくれないかなと、思う。
といって、味の素のビジネスを否定するものでもない。
クノールはおいしいし、便利でありがたい。
問題は、その意味なのだ。
モノの力を見直すべき時代が始まっている。
広告はイメージの力で、モノを手に入れたくさせるわけだが、
今求められているのは、モノにどれだけ肉薄できるかということだと思う。
モノになぜ力があるかというと、モノに意味があるからだ。
逆に言うと、意味のないモノは力がない。
広告はモノの意味を明確に提示できなければその存在価値を失うのだ。
昨今のCMを見るにつけ、その惨状に目を覆いたくなるのは私だけではないだろう。
モノをきちんと捉えてない広告は、魅力的であろうはずがない。
コンテンツとして、ただ面白いだけでは心は動かない。
深く心を動かされたいではないか。
モノの力。
バーチャルな世界はメディアを席巻し続けるだろうけれど
究極的には、モノの力が世界を変える。
モノとして扱われてきた派遣社員たちが今、力をつかみつつあるように。
「おいしさの秘密は、1年で2週間しかない、いちばんおいしい時期に収穫して、甘さのピークでパウダーに」
http://www.ajinomoto.co.jp/cm/tvcm/cm001008CS30_high.html
てことは、いちばんおいしいトウモロコシを買い占めて工場で粉末にしてしまうってこと。
これを、ひどいと感じる人間もかなりいるのではないか。
少なくとも私は、いちばんおいしい時期のものは、自然のまま食したい。
化学的に加工して、均一な味の製品になどしないでくれないかなと、思う。
といって、味の素のビジネスを否定するものでもない。
クノールはおいしいし、便利でありがたい。
問題は、その意味なのだ。
モノの力を見直すべき時代が始まっている。
広告はイメージの力で、モノを手に入れたくさせるわけだが、
今求められているのは、モノにどれだけ肉薄できるかということだと思う。
モノになぜ力があるかというと、モノに意味があるからだ。
逆に言うと、意味のないモノは力がない。
広告はモノの意味を明確に提示できなければその存在価値を失うのだ。
昨今のCMを見るにつけ、その惨状に目を覆いたくなるのは私だけではないだろう。
モノをきちんと捉えてない広告は、魅力的であろうはずがない。
コンテンツとして、ただ面白いだけでは心は動かない。
深く心を動かされたいではないか。
モノの力。
バーチャルな世界はメディアを席巻し続けるだろうけれど
究極的には、モノの力が世界を変える。
モノとして扱われてきた派遣社員たちが今、力をつかみつつあるように。
2009年1月30日金曜日
リセッション
3月スポットが、50%止まりとか、
放送界・広告界へのグローバルリセッションの影響は強まるばかりのようだ。
かつて金が集中する場所だったところが、
あっという間に不況の風吹きすさぶ荒野と化す。
砂漠化した古代文明の都市群のような衰退への道筋。
そんな中、中古車レンタルのフランチャイズビジネスが急速に伸びているらしい。
ガソリンスタンドの空いている場所に、小型車を数台置いてレンタルするもので、
運営はスタンドで行う。
中古車なので、1日2500円と格安だ。
http://gazoo.com/NEWS/NewsDetail.aspx?NewsId=b71c817e-7c25-4308-86e5-c1f6e673faf9
そうかと思えば、中古の限定品を、店頭で、日々値引いていくビジネスも評判を呼んでいるらしい。
いわゆる逆オークションだ。
他人がいくらの段階で購入に踏み切るかわからないため、
客はついつい店を訪れてチェックしたくなるらしい。
来店頻度が高まるわけだ。
ゼロからすべて作り上げ、付加価値を大きく取るビジネスモデルは、
さまざまな分野で行き詰まりを見せている。
自動車業界を見ても、わかりやすい。
電気自動車の本格的登場は、自動車をPC化し、
多様な周辺ビジネスを起こすことになると思われる。
とりあえず、バッテリーの共有化は必須だろう。
諸々の機能も共通性が高まれば、専門メーカーが力をつけるようになる。
自動車会社は組み立てメーカーとしてのみ、存在するようになるかもしれない。
http://www.gemcar.com/build/accBuild.asp
http://www.betterplace.com/
私が所属する広告制作会社も視点を変え
新しいビジネスモデルを産み出さない限り、
20世紀型産業として衰退していくだけのように感じられてならない。
放送界・広告界へのグローバルリセッションの影響は強まるばかりのようだ。
かつて金が集中する場所だったところが、
あっという間に不況の風吹きすさぶ荒野と化す。
砂漠化した古代文明の都市群のような衰退への道筋。
そんな中、中古車レンタルのフランチャイズビジネスが急速に伸びているらしい。
ガソリンスタンドの空いている場所に、小型車を数台置いてレンタルするもので、
運営はスタンドで行う。
中古車なので、1日2500円と格安だ。
http://gazoo.com/NEWS/NewsDetail.aspx?NewsId=b71c817e-7c25-4308-86e5-c1f6e673faf9
そうかと思えば、中古の限定品を、店頭で、日々値引いていくビジネスも評判を呼んでいるらしい。
いわゆる逆オークションだ。
他人がいくらの段階で購入に踏み切るかわからないため、
客はついつい店を訪れてチェックしたくなるらしい。
来店頻度が高まるわけだ。
ゼロからすべて作り上げ、付加価値を大きく取るビジネスモデルは、
さまざまな分野で行き詰まりを見せている。
自動車業界を見ても、わかりやすい。
電気自動車の本格的登場は、自動車をPC化し、
多様な周辺ビジネスを起こすことになると思われる。
とりあえず、バッテリーの共有化は必須だろう。
諸々の機能も共通性が高まれば、専門メーカーが力をつけるようになる。
自動車会社は組み立てメーカーとしてのみ、存在するようになるかもしれない。
http://www.gemcar.com/build/accBuild.asp
http://www.betterplace.com/
私が所属する広告制作会社も視点を変え
新しいビジネスモデルを産み出さない限り、
20世紀型産業として衰退していくだけのように感じられてならない。
2009年1月23日金曜日
1月23日 The Best Job in The World
島に暮らすことを理想的な生活スタイルと考えている人はけっこう多いと思う。
mixiにもそんなコミュニティがあったと記憶している。
オーストラリアの観光局が、グレートバリアリーフのハミルトン島の管理人を募集している。
島の管理である以上、魚の餌づけや鯨の観察、郵便物回収など雑用もあるが、
一番の仕事は、ブログをアップして、地域のプロモーションを全世界に向けて行うことらしい。
6カ月契約で、採用のあかつきには、海を望む3ベッドルームの邸宅と15万豪ドルの報酬が約束されている。
月12時間労働のフレックスタイム制だから、とんでもなく暇、ということになるし、
別に学歴は問われないそうで、英語力、冒険心、それにシュノーケリングやスキューバダイビングなどマリンスポーツに精通していることくらいしか求められていない。
18才以上で、ビザOKであれば、応募してみてはどうだろう。
2月22日が締め切りで、7月1日からの仕事開始となるらしい。
若き日本人が選ばれたら、それは素敵なことだ。
http://www.islandreefjob.com/#/home
mixiにもそんなコミュニティがあったと記憶している。
オーストラリアの観光局が、グレートバリアリーフのハミルトン島の管理人を募集している。
島の管理である以上、魚の餌づけや鯨の観察、郵便物回収など雑用もあるが、
一番の仕事は、ブログをアップして、地域のプロモーションを全世界に向けて行うことらしい。
6カ月契約で、採用のあかつきには、海を望む3ベッドルームの邸宅と15万豪ドルの報酬が約束されている。
月12時間労働のフレックスタイム制だから、とんでもなく暇、ということになるし、
別に学歴は問われないそうで、英語力、冒険心、それにシュノーケリングやスキューバダイビングなどマリンスポーツに精通していることくらいしか求められていない。
18才以上で、ビザOKであれば、応募してみてはどうだろう。
2月22日が締め切りで、7月1日からの仕事開始となるらしい。
若き日本人が選ばれたら、それは素敵なことだ。
http://www.islandreefjob.com/#/home
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